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TATTOOあり 

刺青している人をよく見るようになった。

TATTOOなどといってファッションでやっているらしいが、要は刺青である。

刺青=非カタギ人の構図だったのが、ヨコモジになることでTATTOO =イケてる奴だと認識される風潮。

ホントに後ろめたさはないのだろうか。何の引っ掛かりも持たないか。そうであれば、やはり感覚的に住んでいる世界が違うのだろう。

基本的には今も昔も同じ要領だと思うが、今のは後で消せるようになったとでも言うのだろうか。あまりに容易にやっているように見えて仕方ない。

外国には、意味の無い漢字や間違った漢字を彫ってしまうような人もいる。

「母」?「実」?誰の母で何の実なのだ。バック・ストリート・ボーイズの奴なんか「危違熊」だ。一瞬文字化けかなんかだと思ってしまうが、本人は「あぶない熊」のつもり。文字通り違っちゃっている。

恥ずかしくても、後悔しても後の祭。

間違っていなくても、流行が変わったらどうするのか。

激太りなんかしたらヘビの刺青がツチノコに、痩せたらシシャモに見えるかも知れない。

図柄だけでなく、何かのマークや文字だって同じことだ。

現に、石塚英彦の腕のTATTOOは悲惨だ。

血圧測る時に巻いたゴムの跡みないになっている。

笑ってほしいのなら別だが。
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宇宙戦争 

具合が悪くて休んでいたが、あまりにも何もないので映画を観に行った。

行ってみると、「宇宙戦争」が封切りだった。全く知らなかったが、今日が全世界同時公開日なのだそうだ。

原作は100年以上前でH.G.ウェルズ作。1938年にオーソン・ウェルズがラジオドラマで実際のニュースのように伝えて全米をパニックに陥れ、51年には映画化もされているらしい。

で、今回の映画化はどうだろうか。監督はスピルバーグおじさん。

このおじさん、初期の「激突」や「ジョーズ」から「未知との遭遇」の前半までは作家性もありスゴイなと思っていたが、その後の作品はあまり好みではない。最近作の「プライベートライアン」はある意味画期的であったし、やっと息を吹き返した感じであったが、脚本上の矛盾により感動が薄れてしまったのが残念だった。

そんな訳で何の期待もしていなかった。

最近はVFXと云うらしいが、特撮は圧倒的にスゴイし、トム・クルーズ演じる離婚男が子守唄をねだる娘の願いをかなえてやれないでいるシーンには涙のひとつも出た。

しかし、今時、宇宙人が攻めてきたなんて話をシリアスに映画化しようとするのだから、何かもうひとつあってもイイのではないか。原作もラジオドラマや前作の内容も知らない。それらに忠実に従ったのかも知れないが、いささか説得力に欠ける。

最近の侵略ものではM.ナイト.シャマラン監督の「サイン」が気に入っている。

この若旦那のスゴイのはクダラナイ超B級の話を格調高いA級風に作り上げてしまうことだ。
話のスケールも同じような作品だが、そんな仕掛けや感覚がこの宇宙戦争には足りなし、一生懸命描こうとした親子愛もサインには及んでいない。

同朋ルーカスおじさんもスターウォーズ1.2でコケまくったが、スピルバーグおじさんもこれではかなり怪しい。

この手の映画は若旦那にまかせた方がイイですぜ。オヤジ。


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とある水曜日の朝 

ファミレスにいる。

今日は休暇だ。

先日から体調が良くない。急に蒸し暑くなり、夜にエアコンを付けっぱなしにしていたのが堪えたらしい。
そんな訳で休んでいるのだが、朝の我が家は諸事情によりあまり居心地がよろしくないのでファミレスへと相成った。

田舎のファミレスの朝は誰もいない。そこにヒタスラメールを打っているオヤジが一人。傍目から見たら変なんだろうな。

煙草と単行本を2冊。

外は雨。何かあったのかサイレンをならした緊急車両が遠くで走っている。

やっぱり少し熱っぽい。ホトボリが冷める頃合いを見て家に帰ろう。

携帯で文字打つのもイライラするし。

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ATM 

ATMの1日の引き出し限度額が50万円以内に制限されるらしい。

50万円も下ろすような生活をしていない私にとっては無縁の話。自慢時じゃないが、そもそもそんな大金は入っていない。

そんなことよりATM操作時間を制限してほしい。

並んでいるうちに準備しておけばイイのにATMの箱に入ってからカバンの中を捜しまくり、やっと見つかったら残高照会。

その後、引出し操作に移るが、やたらと操作が遅い。挙句にはどっかへ振り込んだりする。最悪は結局操作がわからず係員を呼び出す。時間を気にしながら後ろで待っている人間はもうウンザリ。

こんなこと防止するために、まずはカードを認証して箱に入り、ある一定時間以内に出てこないと頭上の風船が割れ小麦粉で真っ白になるようにしたらどうか。

これなら早くなるし、後ろで待っていても楽しい。

いつもATMの周りをギャラリーが取り巻き爆笑が絶えない日常となる。

自信がない人は店頭窓口へおこし下さい。




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拝啓 真理子さま 

いつも聴くFMラジオ放送がある。

福岡でやっているcrossFMだ。音楽CDなんかは聴かないので車の中は常にこの放送局にセットされている。

土曜日の昼過ぎからはこの局のCROSS SUPER SATURDAYという番組をきまって聴く。ハーソナリティーはスマイリー原島と山本真理子。

二人のFMらしからぬトークは楽しいし、何しろ山本真理子様のお声が非常に良いのだ。

思わず「様のお声」と書いてしまうほど素敵なのだ。かわいい、そして品のある声、物腰の柔らかいそのしゃべりは下ネタになっても揺らぐことなく軽やかである。まさに、大人の女性の振る舞い。普段、どこぞのTV局のタレントまがいの女子アナの、そこいらのネーチャンみたいな”お前はそれでもアナウンサーなのか”的シャベリを聞かされ続けていると、ハッとするくらい正しくキレイな声だなと思いを強くする。

そこで、聞く度に「いいなぁ」と、色気づいた中学生みたいな心境のワタクシおやじさまはある行動に出た。

まず、インターネットでそのお顔を拝見する。しかし、得てして「見ないほうが良かった」と後悔する可能性も否めない。若い頃、仕事関係先の電話の声につられて、観にお邪魔したのだが見事に裏切られたほろ苦い経験があるからだ。

一瞬躊躇したが、検索開始。あった、出た。おおぉ。声のイメージとは違うがキ・レ・イではないかぁぁぁ。恥ずかしながらキとレとイの間に「・」を打ってしまうくらい予想外と云うか期待以上である。

そして又しても信じられない行動に出た。

ラジオへの投稿である。この思いを生放送中の番組へメールを送るのだ。またまたハナタレ中学生の心境である。事実、オールナイトニッポンの笑福亭鶴光氏へのイカガワシイ投稿以来の行動。当時はハガキだったが、今はメールと言う便利なアイテムがある。どうせ今回だって読まれやしない。送ってしまえ。

それから2時間後、番組も終わりに差し掛かり、メールしたことさえも忘れ何となく聴いていたところに覚えのあるラジオネーム。

「jackalからのメールです。」

なんてことだ。私の書いた文章がラジオから流れているではないかぁぁ。思わずコラムシフトでもないのにコラムシフト操作をしてしまうくらい驚いた。

その内容は若干校正されているものの、読み手(スマイリー原島)のウマさとスタジオの反応とで、こうも感じが違うものになるとは。自分の文章なのに何か非常に新鮮な感覚とでもいいましょうか。とにかく不思議な感覚であります。ひょっとしたら、このクダラナイなんてことないコラムも、読み手側の感覚で全く違うモノになっているかも知れない。イイ意味でそうあってほしいと思ったりする。

まぁ兎にも角にも、今まで思いもしなかったが、セッセと投稿するリスナーの気持ちが解った一瞬だった。

こうなったら今度はスタジオ見学だ。なんて思いがよぎっている。もう、自分自身が信じられない。

なんとなくヤバイ気もしてきました。

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地獄のファミレス 

地域の集まりですぐ近くのファミレスに行った。

ファミレスと云ったって田舎だから24時間営業ではないし、周りには田んぼがあるようなロケーション。10時の開店をまって大人子供総勢30名くらいで入店した。

朝っぱらであるにも関わらず、呑みまくり。私は都合で呑まなかったのだが、他の連中が凄まじい勢いで飲むわ呑む。

ビールと無数のつまみ。子供は子供で好き勝手に注文している。

呑んだ大人も酒がまわってくると声もデカくなる。子供らは食べ散らかしの大騒ぎ。

これだけの団体が、各々ありとあらゆる注文をするので店側もたまったものではないだろう。経費削減なのか店員は2名、厨房も2名程度ではないか。開店直後から店はフル開店モードに突入。

それに輪をかけ昼時を迎えると他の客も増えてくる。となると、注文したビールの到着が遅れるので飲んだくれた大人達が呼出ボタンを連打する。あまりに方々で鳴らすので誰が何をどれだけ注文したのか解らないありさまで、それを誰と無く片っ端から呑んで食って行く。注文したモノが正確に届かないのでまた呼出。延々とこの大宴会的悪循環状態が繰り広げられる。

場に飽きた子供達が走り回っている中をかいくぐり、店員が品物を運ぶ。ガナリたて酒を要求するオヤジ。子供達はいすの上で飛び跳ね、フロアを這いずり回る。仕舞いにはビールに飽き足らず焼酎まで呑みすぎた連中が口論を始める。完全に居酒屋をも超越している。 

一体ここはどこなんだ。普通、屋外でやっていない限り、追い出されてもおかしくない状態に達しているのに、誰も子供に注意しないし、他の客も大して気にしていない様子。連中も地元で飲んでいるので勝手が通ると思っているらしい。これが逆だったら確実に店側に文句を言うか、こちらが店を出ているだろうが、素面の私は成す術も無くただただソフトドリンクを飲んでいる。

完全無法地帯の場所。田舎のファミレスはそんな所だ。

都会の皆様は注意して入店されたい。

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ホームシアターの話? 

自宅にホームシアターがある。

もともと映画好きで、十数年前に大型テレビとAVアンプでそれらしい雰囲気を楽しんでいたのだが、ここ数年のホームシアターブームで当時のことを思い出し再度構築することを思い立ったのだ。

液晶プロジェクター(AE700)、AVアンプ(7000ES)、DVDプレーヤ(858Ai)、DVDレコーダ(DH400T)、SP(SX-Lseries×9)でスクリーンは100インチである。

9.1chで聞く音は、昔と比べて飛躍的に映画館の音響に近づいており、 やはり臨場感がある。画像もデカくてhi-vision放送などは実に綺麗なのだ。今流行りの薄型大画面TVもイイのだろうが、映画館の雰囲気でいけばやはりスクリーン投影だろう。

これだけの設備には結構投資がいる。もっと、上級のマニアックな人から見れば話にならないのだろうが、私の身分からすると、既に不相応な金額である。しかも、全て総入れ替えした二代目だから身の程知らずもいいとこなのだ。

これを実現できたのは、なんと言ってもネットのおかげ。ネットショッピングにネットオークション。定価で揃えていたらトンでもない額になる。

そういう意味ではイイ時代になったものだが、このせいで真剣に検討せずに買ってしまうクセが付いてしまった。購入して気に入らなければネットで売ればいい。早く決断すればそれだけ高く売れるし、オークションで手に入れたものなんか、売る時に逆に高値になる場合だってある。以前なら後悔を抱えたまま使用するほかなかったのが、なんと簡単なことか。

でも、これは実は大変なことかも知れない。IT技術により生活は進歩したのかも知れないが、考える能力や本来人間が持つべき重要な感覚が退化してしまうのではないかと思ったりする。

今こうして文章を書くにしてもパソコンだ。書けない漢字だって変換してくれる。調べモノなんて辞書じゃなくネットだ。誰かが言っていたが書物で見たり読んだりする情報に比べ同じ情報をネットで見る場合は数十倍の速さで頭から無くなるそうだ。只でさえ頭の調子が悪いのにさらに拍車がかかりそうだ。

頭はカラッポになり、ネットという外部周辺機器に接続することで辛うじて生活している世界。相当サイバーティック。

なんだかホームシアターを自慢するハズが、ぜんぜん違う話になってしまった。

文章能力さえ無くなってきている。

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本出汁 

2日間缶詰状態の研修が終わった。

通常の社内研修ではなく、他企業の人も参加する外部研修である。

なんだか解らないが、管理者養成コースみたいなもので、グループに分かれ夜中までディスカッションしたりする。そんな研修が4月から12月まで月2日のペースで続くのだからタマラナイ。今回は3回目であったので、若干の顔見知りが出来てはいるが、人見知りする消極的野郎である私は毎回苦痛を伴うのだ。

そんな私が今回プレゼンテーターになったのだから大変だ。

誰からも指名された訳でもない。他のメンバーが出来そうにないからとか、自分しか居ないとか、まして自信があるから何て思ってもいない。グループ毎に席についてメンバーを見渡した瞬間から、自分ではないのかとのトンでもない思いがよぎり、何を血迷ったのか立候補してしまったから大変なのだ。

頭がおかしいのか、何者かが突然憑依したのか不明だが、立候補しておいて大変だと驚いているのだから本人もよく解っていない。ハッキリしているのは1日目に討論した結果を2日目に70人程の知らない連中の前で発表することだけだ。

その日9グループ中の6番目の発表だった。中々シャベリが達者な人たちもいて、大変なプレッシャーであったが、立候補してしまったからには後には引けない。誰だか知らないが憑依したなら終わるまでツイてくれてていたのならよいが、どうやら私をおいてどっかに逝ってしまったらしい。仕方が無いので、後悔渦巻く頭を抱え取り合えず喋くることにした。

数分後、何となくそれは終わった。何とか役割を果たすことは出来たようだ。発表が終わったら、その都度発表内容とプレゼンテーターに対する講師の講評。

前5人のプレゼンテーターへの講評は「誠実」「謙虚」「明るい」「冷静」「論理的」、後ろの3人にも同類の評価である。そんな中私への評価は「味がある」。

あまりにも他の発表者と違う評価。なんなのだ。「味がある」って何だ。

よくゲイジツ品や怪しい骨董品を見て「味がある」と云うド素人がいる。取り合えず「味がある」とさえ言っておけばその場を丸く治めることができると思っているが、ようはその品物のどこが良いのか全く解っていなかったりする。本当にイイと思うのであれば「形が美しい」とか「丹精な色使いだ」とか具体的に言えるハズで、「味がある」と云われたらその作品は大して魅力が無いと思った方がいいと聞いたことがある。

多分、何にも無かったので「味がある」だったのだろう。私の力不足だから仕方が無い。

せめてもの救いはそう云ったのはド素人ではなく専門家の講師であることだ。あまり凹みたくないので、そう思い込むことに決めた。

しかし、私にいったいどんな味わいがあると言うのだ。

確かに私が風呂に入ると色々な風味のダシが出るだろうが、「味」まではどうかなと思う。

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短命 

どうしたものか月曜日はつらい。

土日ハゲシク遊んだ訳でもないのにツライ。単に会社に行くのが嫌であるだけではない。明らかに身体の調子が悪い。

元を正せば学校嫌いの小学生みたく、会社に行きたくないがために身体に変調を来たしているのかも知れないが、どうも其れだけではないようだ。

少し前から日中は暑くなっているが、朝方少し涼しすぎる時もあるので、寝冷えしたのかもしれない。

それ以前に、運動不足で体力が落ちているのが原因だろう。思えばもう10年位デスクワークをしているし、車通勤になったので、ほぼドアtoドアの生活なので歩きもしない。であるにも関わらず、運動の類は全くといってイイ程やらない。お陰様を持ちまして、体重もズイブン増え続けておる最中なのでございます。

医学的に考えを巡らすと、本来、汗として出すべき老廃物が身体に蓄積され、その毒素で変調を来たしているのではないのかとも思う。

そう思って、本当は全くゼンゼン行きたくも無いバレーボールの練習に参加した。バレーといっても地域のソフトバレー大会だ。選手として借り出されているので練習にも参加する必要があるのだ。先週の金曜日はなんとなく理由を付けてサボっていたが、残り日数も少なくなっていることだし、汗をかくために珍しく参加することを積極的に捉えたのである。

仕事を終え、一日中調子が悪かった体を引きずり練習をしたのだが、物凄く汗をかいた。尋常では無い位の量である。タオルが絞れる位の汗。下着なんてもうドロドロである。

帰宅してからシャワーを浴びたが、風呂を出てからも汗が止まらない。ビールを飲んだら、輪をかけて止まらない。暫し、扇風機の前に鎮座する。汗が気化するのと共に、身体も浄化されていくようで、なんとなく清清しかった。

やっぱり人間は汗をかかなければダメなのだ。エジソンは人間には「99%の汗と1%の閃き」が必要だと言った、夕陽ケ丘あたりの総理大臣だって「涙はココロの汗だ」と言っていたではないか。汝額に汗すべし。艱難汝を玉にす。鉄は熱い内に叩け。タイは若いウチに行け、なのだーっ。

的外れなヨクワカラナイ例え話ができるくらい、だーの次に小さい「つ」を書いてしまうくらい、勢いで思いっきりポジティブ発言セール中の私。

でも、明日は間違いなく筋肉痛でつらい。明日ならまだイイ、明後日位にクルかも。もう、若くはないし。

こう考えている時点で既にネガティブ。

私の「ポジティブ」寿命はあまりにも短い。

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の、つもりが 

以前書いた「ウッドデッキ」で仕方なく焼肉をした。

日曜日の夕方、明るい内からやり始めた。蚊が出てくることを恐れてのことだ。

木炭に火を付け、イイ頃合になるまで暫くかかるが、その間に香取線香を焚き、野菜と肉を準備する。汗だくで帰ってきた息子がはしゃぐ。今か今かとコンロをいじっている。

臨時収入があったので、少しだけイイ肉を買ってきてやった。肉だけじゃと思い、イカもある。野菜は自家製。ビールはお決まりの雑穀酒。

火加減も良くなってきたので、金網に具材を載せる。

ん。ジュッといわない。でも、焼肉の食べ始めってのは「いっこうに焼けない」気がするのが常であるので、ビールでも飲んで気長に待つか。

しかし、一向にジュっとならない。肉も野菜も待てば待つほど燻されスモーク状態に近づいている。炭の量が少なかったのか?十分だとは思ったのだが、この現状からして甘んじて受け入れるしかない。

腹を空かせた息子がグズり出す。親父は待ちきれず箸をのばす。

今から炭を入れても直ぐには火力アップは望めない。入れたとしても彼らの貪欲な胃袋が食物を迎い入れこなれ始める前に、最適の火力にもっていけるかどうか疑問だ。案外少し経てば、焼けすぎるくらいに火力が上がるものだ。焼肉とはそういうものだ。そう判断した。

みんなの箸は空腹にまかせ、取りあえずすすむが、相変わらずジュッとならない。イカン。もっとじっくり焼く様に指導しなければ悲惨な結果になる。みんな取りあえず食ってはいるが、そのスピードは一般家庭のそれではない。共々早食いなのである。何てことだ、肉もかなり減っている。イカなんてもう無い。

もう、メシなんか喰ってやがる。なんだか全く盛り上がらない。

垂れない肉汁。干からびるタマネギ。乾燥する生シイタケ。あの、焼肉のダイナミズムである立ち上がる火煙、ホトバシル脂など程遠い。

なんとなく満腹中枢にダラーっと伝令が到着したらしく、思いおもいのことをやり始める親父とムスコ。

日はまだ明るく、蚊取り線香はまだやる気十分なのに。

私は、水分を抜かれミイラ化したオクラをチマチマ摘みながら、人肌になったビールもどきをすすった。

炭は自己主張できぬまま白くなっていた。

慣れない気を回して自滅した、父の日の夕方のこと。

やっと蚊が出てきた。

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言葉とは 

「元気をもらった」という言い方は嫌いだ。

「勇気をもらった」などという人もいるが、これもどこか違和感がある。

表現的に何か足りない。これらは既に流行言葉のように形骸化されてしまった感があり、いかにも軽軽しく何にも響かない。

一番重要な「与えられている」が視点が不足しているのだ。

本来なら、何かを「与えてもらって元気が出た」何かを「与えてもらって勇気を持てた」なのだろうが、どうも一方的に単に貰ってているだけのようで、釈然としない。

言うなれば「与えている側への感謝」が感じ取れないからだろう。

そればかりでない。貰った後に自分がどう変化したか。これはあくまでも自発的なものであるハズなのに、その表現も乏しい。

直接「元気」や「勇気」を与えてくれる人はいない。何かを感じ取り、それを出したり持てたのは自分自身であるのに、自信も持てないでいる。

自己中心的であり自己喪失でもあるこの表現。

何も、言っている全ての人がそうではないと思うが、なんでも省略してしまうのはどうだろうか。

与えられている事に気づかないと他人に「与える」ことなどできやしない。

無論、これは私自身への戒めでもある。

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報道特集 

どうでもイイ事だが、花田家のお家騒動報道はどうにかならないものか。

少なからず、どの家庭の中にも確執はある。

有名人・著名人だからと云って、人生をも狂わせかねない幼稚で執拗な報道はイタダケナイ。

ましてや、父親が亡くなっているにも関わらず、家庭内の確執を煽るたてる。

2人が現役時代から「史上発の兄弟横綱」などと持ち上げていたかと思うと、兄弟不仲説、夫婦不仲説などで引きずり降ろす。

興味本位のマスコミは若貴を祭り上げることで相撲ブームを出現させ、確執を浮き彫りにすることでブームを終焉させた。

この話題に限ったことではないが、自分以外の人間の尊厳なんて考えもしない、まぁマスコミは身勝手で気楽な稼業なのである。

そんな確執を報道するより、貴乃花親方の髪型でも話題にしてほしい。

特集「貴乃花親方の謎の髪型の真相に迫る。~ちょんまげからの軌跡~」

そんなナイスな番組なら見てみたい。

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ミリオンダラー・ベイビー 

先日、ミリオンダラー・ベイビーを観た。

クリント・イーストウッド主演・監督の映画である。

今まで、イースウッドの映画は色々見てはいるが、最後に映画館でみたのは「タイトロープ」だったか。

この人が監督あるいは主演する映画は、なんとなく「死臭がする」。それは先のタイトロープ以降に強く感じ、今までイーストウッド映画にあまり触手が動かずにいた。

「死臭がする」のには理由があって、本人がかなり年を取り、風貌までもが乾ききったガイコツみたいになったこともあり、何処と無く死神を連想させるのだ。

また、事実、殆どの映画で人が死ぬ。それをイーストウッドはあくまでもクールにストイックに見ている。怒りに打ち震えたりするものの、そこに体温が感じられないのも要因である。

アカデミー賞2部門に輝いた前作「ミスティックリバー」はデジタルBSで見たのだが、やはり全編をとうして陰鬱な不陰気が漂っている。しかし、ショーン・ペンらの人間臭さが体温となって、今までのイーストウッド映画とは一線を画すものとなっていたと思う。本人が出ていないことで成功している面もあるのではないか。

では、俳優としてのイーストウッドはもう駄目かというとそうではない。今回は、名トレーナーであるフランキーを演じている。

本作でも例の如く死臭を漂わせているが、ヒラリー・スワンク演じる女性ボクサーの生命感あふれる存在により、映画にバランスと深みを与えることに成功している。

スワンク演じるマギーも物凄く若くはない。しかし、ボクサーとしては限界であろう年齢設定であるため、最後の一瞬の煌きにも似た美しさがある。10代20代に設定されていないところがミソ。壮絶はファイトシーンとは対象的にフランキーに認められていく中で見せる笑顔は天使のようだ。

そして、忘れてはならないのがモーガン・フリーマン演じるスクラップ。今回の役回りは、よく比較されているが「ショーシャンクの空に」でのナレーションを彷彿とさせる。神の視点での抑制の聞いた語りは、全てを説明しないイーストウッド監督の演出方法とあいまって格調高い作品へと昇華させている。

死神、天使、神。それに劇中に何回も教会や神父が出てくる。これはあの衝撃的で繊細なラストへ導くための、敬謙なクリスチャンとしてのイーストウッドが仕掛けた伏線ではないだろうか。

3人の名優が正に「はまり役」を演じきっている。逆に見れば役が「この俳優しかいない」俳優を得ていて至極自然でリアルなのだ。

普通ならは劇的に描くようなラスト近く病院のシーンも、淡々と描かれており見終わった後にも深い余韻を残す。

エンドロールが映し出される中、繊細に流れる音楽はイーストウッドによるもの。

監督・俳優・音楽。天は二物を与えないというのはウソである。

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A部長 

*追記しておきますが、本当に私の尊敬するお人であるので誤解のないように。(大人の事情によりイニシャルも伏せさせていただきました)
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that's light 

わが国の野球は何であんなにもウルサイのだろうか。

メジャーリーグの放送を見慣れてくると、あまりの違いにそう思ってしまう。

以前、長島監督が試合中の過度の応援を控えさせる「静かな試合」を試みたことがあるが、その試合っきりで後の発展がなかったように記憶している。

つい先般の北朝鮮戦のサッカーは無観客試合であったが、ボールを蹴る音や選手の掛け声が聞こえ生々しくて、なかかなよろしかった。

野球にしろサッカーにしろ、とにかくウルサイ。

彼らは、試合を観戦しに来ているのではないのだろう。まさに「応援しに来ている」のである。笛や太鼓、お決まりの応援歌を歌う。そして応援している自分達に酔いしれている。

だから、どこで試合があろうと駆けつける。人生をかけているような人さえいる。それはで幸せなんだろうな。いや、変な意味でではなく本当に幸せな人達だとつくづく思う。

本当は、静かに観戦しながら、ここぞという場面では大いに盛り上がって頂くような格好が好ましいとは思うが、人生をかけちゃっている人々がいるのでそうも言っていられない。

それなら、あのエネルギーを何かに活用できないものだろうか。

折角だし、ナイトゲームの照明用の電力を発電したらどうだ。

先ずは声援を利用した音圧発電。そして、太鼓による打撃系鳴り物発電。さらに、笛の中に小型発電機を仕込み、吹く度に発電する吹き物系発電。

一人1ワット発電するとして5万人が2時間続ければ、10万Wh=100kwh。結構イケル。

1対0で迎えた9回裏の攻撃。ツーアウト満塁。一打でればサヨナラの場面です。カウントは2-3。ピッチャー振りかぶって投げまし・・・

こういう息詰まる場面で固唾を呑んで見守ったりしたらイケナイ。

精一杯応援してライトを照らして下さい。

そうでないとみえません。

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COOL 

クールビズというものが推進されている。

ご存知の方も多いと思うが、クールビスとは環境省の公募により約3200通から選ばれた、「省エネルック」に代わる新しい愛称だそうで、室温28度のオフィスでも涼しく効率的に働ける夏向きの軽装のことらしい。

基本的にはノー上着、ノーネクタイ。「ビズ」は「ビジネス」の略だそうだ。

最近、こういったヨコモジ単語がイキナリそれも当たり前のように使われると、敵対心が芽生えるのはやはりオヤジになったせいだろうか。

しかし、この件については言葉自体に敵対心はあっても、その趣旨には大いに賛同できる。

何も「地球に『やさしい』」だなんて、そんなオコガマシイ偽善的な表現をするつもりはないが、そのほうが効率的だからである。

現に我社では約十年前から取り組んでいて実際効果も上げている。

個人的には日本には四季ではなく、五季があると思っていることもあり、気候的に見てもやはりこの運動は理にかなっていると思う。

それは春、夏、秋、冬ではなく、北海道を除くと春、梅雨、夏、秋、冬に分類される。

スケールは違うが、梅雨は東南アジアの雨季と変わりないし、夏は湿度が高く亜熱帯気候にも似てなくも無い。

であるから、6月から9月にかけては他アジア諸国のように「開襟シャツ」でよいのである。文化というのは風土に根付くものだが、日本はそれを捨てている。

欧米諸国のようにカラッとした夏ではないのだ。ビジネスライクかなんだか知らないが、なんでもマネすることはない。

お客さんまわりの営業マン以外の社内でしか仕事しない連中は、無条件にノーネクタイで何が問題なのだ。接客業についても工夫次第でやれるハズである。

「ネクタイが売れないから」と反対しているネクタイ業界もバカまるだしだ。英国式というワンタッチの取り外しネクタイも存在するのに、この機会をチャンスだとは思えないのか。

堀江君みたいに時と場合を考えないのはどうかと思うが、この場合国も認めていることだし、少々公式な場でさえも理解を得られるのではないか。

いっそのこと、クールビズの名のもと勢いでランニングに短パンでも推進してほしいくらいだ。

アタマは流行の坊主。お弁当はオニギリ。

みんな、山下清画伯スタイル。

別の意味でクールである。

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ムシ 

飛蚊症がひどくなってきたようだ。

これは、視界の中に文字通り小さい虫のような点が浮遊する目の病気である。

通常はあまり問題ないが、本を読むときなど結構わずらわしい。

以前、聞いた話だが、網膜剥離・眼底出血に繋がったり、脳梗塞などに恐ろしいビョーキの前兆として、この症状が見られるようになるらしい。

必ずしもそうでないことを祈るばかりであるが、かといって、朝に目の洗浄をやっているくらいで、それ以上の対策を講じている事もなく、治療をしている訳でもない。

口には虫歯、足には水虫、とうとう目にまで虫に攻め入られてしまった。

残る「虫」はどこだ。どこから攻め入ろうとしているのか。

いかん。出口を死守しろ。最後の砦を陥落させられる訳にはいかない。

回虫だけは勘弁してほしい。

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正しい大人 

会社関係のスポーツイベントに参加した。

日頃からダラッとした服装しかしない私であるから、そんな集まりもにジーンズにシャツといったイデタチでの参加。

行って驚くのは、大抵の人が「キチンとした」ジャージスタイルだったりすることである。

中高校生なら部活の関係やらでジャージを所有していることは解る。

しかし、いい年したオッチャンまでもが、キチンとジャージであるから不思議だ。

確かに、私みたいな非ジャージ派もいる。それは、25歳あたりから30歳台前半まで位に多く見受けられる。逆に40歳以上からの着用率は飛躍的に上昇するが、その中間である30歳台後半はそれ程でもない傾向にあるように思う。

考えるにジャージ着用率には、年齢とスポーツ参加率との相関関係とそれの耐用年数とが深く関わっているのではないか。

日頃から好きでスポーツを継続的にやっている人達以外は、高校卒業と共に積極的にスポーツをしなくなる。大学生でも大差はない。
しかしながら結婚し子供が小学生位になる30歳台前半からは、地域や学校関係のスポーツ大会やらに参加することが多くなる。
そして、更に40歳を超えると健康面に配慮しくるから、更になんらかのスポーツに接することが増えていく。

20歳半ばまでのジャージ着用率が悪くないのは高校生時代のジャージがなんとなく着れるからで、それ以降は新調する必要が出てくる。
ここで購入すればいいのだが、スポーツ参加率が低下するので比例して購入率も下がる。
この買いそびれが、後のジャージ購入意欲に影響し、30歳台後半の着用率を左右する。

これらはマーケティング会社や全日本ジャージ普及協会やらに確認した訳ではないので、定かではない。

と云うより、ジャージを持っていない私のイイワケゴタクである。

単に、私がTOPに合わせた服装ができない半端な大人だからなんだろう。

いかにキチンとしたジャージを所有しているか。

案外、正しい大人を計るバロメーターなのかも知れない。

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タダシガキ 

TVCMの「但し書き」が気になる。

小さく画面の下の方に「これはイメージ映像です」とか「効果には個人差があります」などと言う類のものではない。

これらは、その商品あるいはサービスが、その但し書きを理解できる年齢層を狙っているものであるから、問題は特に生じない。また、CM映像ついても大体そんな作りになっている。

しかし、購入するのは大人だが、CM自体が子供の映像や子供の注意を引きそうな作りになっているものには、無責任な但し書きが多い。

例えば、幼稚園で泥遊びをやっていた子やハナタレ小僧たちが触ったオルガンや玩具でみんなが遊んだ後、お弁当の時間に手を洗わないで食べ始めようとするとアニメーションの手洗い用洗剤CMがある。
「みんなで使うものにはバイキンがいっぱい」と言ったイメージを連想させたうえ、さらに同じような言い回しのナレーションがかぶる。そこで表示される但し書きはこうだ。

「全ての公共物が汚れているとは限りません」

この洗剤の別バージョンは、子供達が昆虫や小動物をオモチャのように扱っていると、仕舞いにはトカゲのシッポが切れてしまう。

ここでは「生き物の命は大切にしましょう」である。

また、別の洗剤のCMでは、真っ白い靴下を履いた女の子2人が古いお寺の板張りの廊下を走りまわり、滑って止まる映像を流し、靴下の裏のこのようなガンコな汚れも落ちますって表現をする。

「これはCM撮影のためのものです。公共の場は静かにしましょう」みたいなことを書いている。

大人には読めるだろう。CMの意図もわかるだろう。しかし、かわいいアニメーションや面白そうな遊び方に気を取られてCMを見た小さい子供達は、漢字で書かれた小さい但し書きなどは読めないしその意図もわからない。彼らは、このCMをどのように理解するのだろうか。

この他にもインパクトのある映像を見せ、それを但し書きひとつで正当化しようとするCMは多い。但し書きするくらいなら表現方法を変えるべきではないのか。

たった、十数秒のCM。だからこそ、印象に残る。

こんな無責任でイタダケナイCMを作ってしまうような企業の製品は買わないことにしている。

*このコラムの内容は特定の企業を批判しているものではありません。

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ピーナッツ 

人に言われて気づいた。

コメカミあらりから耳にかけて長さ2センチ程のアザが出来ていた。

それは、メガネのツルの位置に合致しており、左右対称に同じようにできている。

あまりにも、左右対称にくっきりとあるものだから、何やら哺乳類以下の例えば魚類等に見られる線対称な体の模様みたいである。

確かに、ここ最近はメガネをかけるとコメカミ辺りがきつく掛け辛い感じではあった。日頃鏡など殆ど見ないが、改めて見てみるとツルが地肌にうっすら食い込んでいるではないか。

太ったのである。自覚症状はあまりなかったが、今年の正月のセールで買ったメガネがもう合わなくなる程、それが密かにかつ急激に進行していた結果であろう。

そして、さらに夏場に近づき汗をかき易くなったことで、ツルの金属面が肌との接触面で汗により化学変化を起こし、お肌にヨロシクナイ影響を及ぼしていたのだった。

その証拠に、ツルの金属面はまるで火山性ガスにでもやられたように、腐食しているではないか。

このままでは、肌かメガネの何れか、あるいは共に朽ちてしまう可能性がある。早急に対策を講じなければならない。

まずはメガネを調整してもらうことが先決だろう。

金属をも溶解してしまうような成分の汗をかかないよう、体質改善も必要かもしれない。

さらには、体質改善に併せこれ以上太らない、むしろ痩せる必要もあるだろう。

しかし、頭を細くするには何をすればよいのか?

ダイエット本はいろいろあるみたいだが、青汁頭部ダイエットなんて聞いたことはないが、何かきっと良い方法があるに違いない。

顔面が殻付ピーナッツのようにメガネで絞られてしまうのだけは、なんとしても避けたいものである。







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誓い 

会社から帰宅して驚いた。

なんと庭にウッドデッキがあるではないか。朝は無かったので、当然、昼間に設置したのだろう。

驚いているのは何も、無かったものが今、目の前にあることだけではない。

それは、私が反対していたにも関わらず設置されてしまったことにある。しかも、過去2回に渡って反対したのに、である。

はじめは家を新築する時、次はつい1ケ月程前。

我が家の建築様式は一応和風であり、しかも田舎家なのでそんな今風のネオモダン和風建築でもない。そいつにウッドデッキなるヨクワカラナイものをくっ付けるのだから、ただでさえ和洋折衷であるのにさらにバランスが悪くなるのは火を見るより明らかだ。

それを私の反対をよそに親父が独断で設置したらしいのだ。

案の定、純然たる和風の庭先にいきなり異物みたいにデッキが出っ張っちゃっている。しばし、庭先で呆然と立ちすくみ、それから暗澹たる面持ちで玄関を開け中へ。

夕食中の食卓の親父はご満悦そうで、私に何か言ってもらいたいらしい。

しかし、あえてデッキの話題に触れない。

痺れを切らしたのか向こうから話題にしてきた。

「いいんじゃないの、どうしても作りたかったんだろ。それに親父の金だし」とぶち切れそうな本心を抑え答える。そもそもデッキどころか家自体、親父名義なので私がトヤカク言うことでもない、と言えば無いのである。

しかしながら、以前からウッドデッキの存在さえも「なんだかなぁ」と思っていた私にとっては、それが自分の家に設置されているだけで気分が悪くなるのだから仕方が無い。一体何に使うのだ。

そこで椅子に腰掛け本を読む柄でもなく、ましてやバーベキューをやるには狭すぎる中途半端な大きさ。我が家の生活の中からデッキを活用するようなシチュエーションが思い浮かべることすらができない私はその利用目的を聞いてみた。

「雨の日、選択物が干せる」

なんてことだ、と言うより「やっぱり」その程度である。先にも言ったように田舎の家であるから別棟で倉庫もあるし、洗濯物などそこいら中好きなところに干せる。

干し放題なのに、何故、玄関の直ぐ横の、一番眺めの良い茶の間の庭先の、一番人目に付くその場所に、ナゼ干すのだぁ。

頭を抱えていると追い討ちをかけるように「タバコはデッキに出て吸え」

いまでも気を使って換気扇の前で吸っているのにデッキに出て吸えだとぉ。しかも、そのいまいましいデッキが鎮座している、その縁側の冷たい敷石に素足を降ろし一服することが密かな楽しみだった私に、まさにマイフェイバリット・スモーキングエリアを奪ったそのデッキでだとぉ。

嬉しそうにしている親父には悪いが、早くもいつの日か必ず解体してやると誓う私がいるのだった。

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商品券 

ネットショッピングは便利だ。

田舎に住む私にとっては非常にありがたいシステムである。

店頭では探しきれない、あるいは在庫がないものなど検索して購入できるのだから、その利便性には田舎に住む者に限らず重宝なものだ。

足を運ばず、PCの前から注文すると早ければ明日には希望の品を手にでき、支払いはカード払いとなれば殆ど労力はかからない。

これらは購入先の業者の在庫管理からweb受注・出荷、そして運送業者の配送まで徹底したシステム化によるものだとは容易に察しが付く。

しかし、一旦システムに障害があるとニッチもサッチも行かない状態になるから大変だ。システムに人間が飼いならされている状態が浮き彫りになる。

実はシステムに障害が出ることは人間がミスするより、遥かに確立は低い。だから現状のところは、それを運用する人間側に問題があることが多い。

以前、超大手のナントカ.comから書籍を購入したのだが、いつまで経ってもモノが来ないことがあった。催促の電話をしたら住所不明で返送されて来たとのこと。

この遅延の仕組みはこうだ。

1 私が住所に部屋番号の一部を入力ミスした。
2 配送業者が持ってきたが、部屋が存在しないので発送元に返送。
3 発送元は、注文を取り消し返送品を在庫に繰り入れた。

なんてことだ。確かに入力ミスしたのは悪いが、そこには連絡先電話番号も記入している。まず、配送業者が確認の連絡すべきではないか。発送元についても同じ事が言える。催促した時に聞いたが、どちらも「確認の連絡はしていない」とのことだった。

あまりのバカさ加減に注文を取り消そうとしたが、どこも在庫がない貴重品だったので、苛立つ自分を抑え再度注文した。

が、なんと、返却されたそれは、別からの注文を受け既に出荷して在庫が無くなったらしい。再入荷までかなり時間がかかるとのこと。

頭の中で何か音がした。キレてしまった。キレてしまったが、先方が信用を落とすことを恐れ、泣き付いてきたので、最終的には再注文と相成った。

それから、品物は忘れていたころに到着。中には500円の商品券が添えられていた。

ネットショッピングと、そこの店頭でしか使えない商品券。

このあまりの存在のギャップ。

ネットショッピングは便利だ。

電話一本掛けられない連中が運用していなければの話だが。

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ラクガキ 

通勤途上に気になる落書きがある。

それは、信号機の「歩行者専用押しボタン」の表示に書いてある。

「押」のところを「田」だけに修正し、「し」を消し、さらに田の上に「中」を追記してある。

はじめはなんの事か解らなかったが、何回もその前を通過していくうちに気づいた。

そう、「中田ボタン」である。漫才の「中田カウス・ボタン」のボタンである。

一瞬笑えたが、ある問題が頭をよぎった。当然、元の文字を修正するタイプのこの落書きでは、相方カウスには成り得ないが、そんな観点の問題でなはない。

こんなシュールすぎるな落書きを誰がしたのかである。

お笑いブームとはいえ、今の小中学生が「中田ボタン」を知っているとは思えない。高校生か?しかし、ここは通学路でもなく、やはりジェネレーションギャップがあることは否めない。

では、いい年した大人なのか。酔っ払った帰りに書いてしまったのかも知れない。しかし、そんな人物が黒マジックを絶えず持参しているだろうか。

いずれにしても、ボタンと言う文字に「中田」と反応してしまう感性がやはりシュールだし、私だったらせいぜい「バラ」どまりだろう。

「歩行者専用押しボタンと薔薇」

謎は深まるばかりである。


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濃度 

その内、2人は離婚経験者。

1人は離婚経験者と結婚している。

1人は無職。1人は自営業。1人は会社が倒産した。

1人は父子家庭。1人は専業主夫。1人は連れ子がいて、1人は子供と別れた。

1人は交通死亡事故に関係し、1人は重度の疾患がある。1人は健康だが、精神を病んでいる。

「もしも世界が100人の村だったら」の話ではない。

昔一緒につるんでいた、私を含む仲間4人の話である。

なんだか、その村より随分濃い話になっちゃっている。

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こらむ茶再開 

数年ぶりにHPを再開することになった。

以前私がやっていたことは、今まさにブログと言う非常に語感が悪く、よく仕組みが分からないものに相当している。

昔のHPを整理していたら次のようなコラムが出てきた。なんと99/06/16のものだ。

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先日のコラムに「ダークサイド」と書いて考えた。
ダークサイド=暗黒面

そこで,スターウォーズ公開にあやかった新製品「アンコク麺」ってのはどうだ。

ラーメン屋のメニューに,こうある「アンコク麺あります。」
やはりベースは黒ごまトン骨味。当然,餡が入ってる。麺にはイカスミを混ぜた黒めん。黒っぽく煮詰めたタマゴと焼き海苔でダースベイダーをイメージ。さらには,焼き馬肉を数枚のせる。
えっ,なぜって,馬=ホース,ほーす・・・フォースってことで。

フォースついでにもう一つ。
客に出す際には箸もレンゲもつけない。

客が言う「オヤジ,箸がねーよ箸が」
オヤジが言う「フォークを使え・・・」

この話は忘れて下さって結構です。

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なんてことだ。

今まさにまたスターウォーズが公開されようとしている。それも完結版である。

なんという奇遇。

スターウォーズの完結とu-sideの復活!。

って、なんの関係もないものと思われます。

この話は忘れて下さって結構です。

まぁ、超不定期ってことで再開してみますので、是非ごひいきに。
(過去のコラムは整理完了次第アップしてみます)



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