スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

時々クリックお願いします

クロ 

しらばっくれる

ご存知のとおり「知っていながら知らないふりをする」の意味。

本来の言い方は「しらばくれる」。

しらばくれるの「しら」は「白々しい」などの「白(しら)」、「ばくれる」は化ける意味の「ばくる」らしく、「白々しく化ける」の意味からと考えられてる。

全国各地の高校の必修科目履修不足問題。

ある学校の会見では当初「認識していなかった」と発言。

「世界史的に地理を学んでいた」などと訳のわからない理屈を繰り出していたが、以前から履修漏れが指摘されていたり、時間割の改ざんが発覚。

教えるべき人間が教えなかっただけなのに、教えられる側にも否があるような「履修不足」なんて言い回し。チャンチャラおかしい。学校側の職務不履行なのに。

福岡と岐阜の中学校の「いじめ」の問題。

被害者の最後の手紙には”その実態”が書いてあった。周囲の情報や一部でそれ認める発言もある。福岡の場合、引き金は教師だったりする。

それにも係らず「確認できていない」。「直接の原因ではない」とも。会見は未だ二転三転、迷走しつづけている。

福島県発注のダム工事をめぐる汚職事件。

容疑者は前知事。

既に、複数の工事関係者から証言で前知事の関与が判明している。共犯である容疑者の弟も兄の収賄関与を認めている。

それにも係らず「弟から相談は受けていない。知らなかった」。逮捕されてもなお「納得できない」らしい。

みんな「シロ」だと白を切り、しらばっくれる

"白"々しく化けたつもりでも、"黒"が澱んで透けて見える。

見苦しい。
スポンサーサイト

時々クリックお願いします

父親たちの星条旗 

父親たちの星条旗」を観た。

公開は28日からだが、一足先に試写会で観るチャンスを得たのだ。

監督はクリント・イーストウッド

前作「ミリオンダラー・ベイビー」で2度目となるアカデミー賞を獲得した監督だけに、注目されるところだ。

物語は、太平洋戦争末期、硫黄島での日本軍との死闘の最中、摺鉢山に掲げられた星条旗にまつわる隠された真実と、英雄に祭り上げられた兵士達の苦悩を描いている。

映画は「オープニングの十数分間で、その作品の良し悪しが決まる」と聞いたことがあるが、この作品のスゴイところは、上映開始後わずか数秒で全てを語っている点。

製作はスピルバーグ率いるドリームワークス。このクレジットが出る前、真っ黒な画面から聞こえてくる声。それが、この作品はその全てを物語っているから、実際は本編が始まる前といってもいい。

言いようの無いくらい物悲しくて生生しいその声は、やがて暗闇で戦いを強いられている兵士の映像に繋がる。そして、どこからともなく聞こえてくる「衛生兵!」という叫び声にダブっていく。見事である。

映画は、前線を離れ帰国した兵士達の時間と、戦場、そして現在、その3つの時間軸を行き来しながら展開する。

そのため、観る者は、華やかなパーティー会場いたかと思うと、急に戦場に送り込まれ、次の場面では、隠された過去が語られる現在へ、そこからまた戦場へ。そしてまた英雄を称える拍手喝さいの場に立ち会い、そしてまた戦場へ送り返される。

そういった目まぐるしさは、「プライベート・ライアン」が「戦争そのものを体感」させるものであったのに対し、それプラス「頭から離れない悪夢」と「虚像の英雄」とを背負った「兵士の苦悩」を体感させるに十分である。

脚本を担当したポール・ハギスの力量もさることながら、イーストウッド監督の確かな演出も見事。

太平洋戦争の運命を変えたといわれる「硫黄島の星条旗」の写真。

アメリカの伝説ともなったこの写真の隠された真実と、必要の上に作られた英雄の末路を、前作で描いた「尊厳死」と同様、淡々と描きながら、そして静かに問うたイーストウッド。

その問いは、穏やかなラストシーンからエンデングロールの最後までも続くのだ。

イーストウッドは、この戦いを敵国日本側から描いた「硫黄島からの手紙」も製作している。

そういった意味でも、今や彼は「アメリカの良心」とも言える存在になったのではないかと思う。

時々クリックお願いします

内容物 

忙しかったり、んでいたり、テンパッてたり。

そんな時は、冷蔵庫を整理するとイイかも知れない。

我が家は3人暮らし。500Lの冷蔵庫

それでも溢れる冷蔵庫。何が収まっているというのか。

取り合えず、タッパの中の残り物を捨ててみる。

中の棚が結構汚れていることに気づく。

この際、徹底的に掃除してみる。

全内容物を取り出して並べてみた。

焼肉のたれ4本。マヨネーズ類3本。ドレッシング類3本。ソース2本。辛子酢味噌3本。

マーガリン2個。キムチ2個。ヨーグルト2個。ジャム類5個。チューブ山葵2本。

お寿司の素3袋。カレールー2個。おでんの素3袋。うどんスープ4袋。ふりかけ2袋。

皿うどん1袋。焼きソバ1袋。ハンバーグ1個。

刺身に付いていた山葵や醤油の小袋多数。

これが全て賞味期限切れ。

平気で1年2年経過している。古いところでは4年半。

殆どが、使いかけ。有ること知らずに新しいモノを買ってくる。使い切らないうちに、更に買ってくる。そして、ついぞ共に期限切れに追い込まれる。そんな様相。

中には、未使用状態であえなく期限を迎えてしまった哀れなモノもさえある。

もはや、キムチ、ヨーグルト類は再醗酵してしまいそうな勢い。

生ゴミに出せるモノは出す。出せない液状のモノはバケツに流し入れて纏めて処分するしかない。

この世のものとは思えない、スゴイ液体が完成。

おかげで、冷蔵室はスッキリ。と、いうかガラガラになった。ほぼカラッポ。振り返ってみると、一体何が入っていたのか思い出せないほど。

案外、頭の中もこんな感じで、整理するとガラガラになるのかも知れない。

ゴミだらけで中身はカラッポ。もともとタイソウなものは入っていないのが、自分の頭の中だったりする。

まだ、冷凍室と野菜室の整理が残っている。

時々クリックお願いします

ワールド・トレード・センター 

「ワールド・トレード・センター」を観た。

言わずと知れた、9・11テロ崩壊したWTCビルでの惨状を描いた映画である。

監督は社会派オリバー・ストーン。主演はニコラス・ケイジ。

事件から5年が経過しているが、未だなおナーバスな題材だし、過去アメリカ社会を切りまくってきたストーン監督のことだから、どんな作品になっているのか興味があった。

しかし、意外も意外、丹念には描いているがアッサリしているし、強烈なメッセージもない。知っていなかったら、これがオリバー・ストーン作品だとは気づかないだろう。

物語は、WTCビルの崩壊に巻き込まれた二人の警察官が奇跡的に救出されるまでの過程を、その家族の苦悩を織り交ぜながら描いている。

登場人物の二人の警官を含め、全て実話。

生き埋めになり死と隣り合わせの恐怖と孤独感。家族への思い。安否を気遣う家族。危険を顧みず救出に向かう人々。それらの心境は十分察することはできるし、リアルである。涙が出るシーンもある。

しかし、話が極端に絞られているため、9・11テロの全体像が浮かび上がってこない。

確かに、監督自体、あえてテロの問題に言及していないこと、あえて家族愛人間愛に絞った作りをしていることを明言している。

とはいえ、9・11テロを題材にしている限り、ある程度、あの日あの場所を覆い尽くしたであろう、怒り・悲しみ・叫び・不安・恐怖・喪失感が交錯する混沌とした状況を伝える必要もあったのではないかと思う。

要は、9・11テロを題材にしなくとも、今回描こうとしたモノは描ける気がするのだ。

同時期に製作された「ユナイテッド93」を見てみたい。

時々クリックお願いします

事前確認 

私の前を、娘さんとその両親が歩いている。

娘さんの年のころは15、16。中学生か高校生。

母親、娘、父親。何やら楽しげに喋りながら、3人赤いジュータンの上を進んでいる。

オヤジさんの手には、3人分のドリンクとポップコーン

これから家族揃って映画鑑賞。

娘さんにせがまれて両親が付いて来た構図か。

5番スクリーン入り口に向かっている。どうやら観る映画は私と同じようだ。

長いコマーシャルが終わり、本編が始まる。

「ブラック・ダリア」

この映画の予備知識ないとはいえ、その監督の趣向は知っているつもり。

そんな私でさえ、想定外のエロでグロい展開。あの家族は大丈夫か。家族で見るには猥雑すぎる。

果たして映画は終りを告げる。

5番スクリーン出た私の前を、2時間前と同じ親娘3人が歩いている。

和気あいあいのあの雰囲気は既にない。

小さい頃、両親とTVを見ている時にスケベな場面が出てくると、何やら不穏な空気に包まれたものだった。オヤジがおもむろに新聞を読み出し、母親は私に学校のことを急に聞いたりしてきた。

年頃になると、新聞を読み出すのは私に代わり、母親は喋る代わりに台所に立ったりした。

今の3人の間にあるのは、そんな、えも言われ得ぬ気まずい雰囲気か。それが2時間弱も続いたのだから、その重さ、心中察するに余りある。

多分、この後、家庭でこの映画について触れられることはないだろう。

娘が先頭を、ついで母親。

そして最後に父親が劇場を後にした。

家族で映画を観る場合、事前に内容は確認しておきたい。

時々クリックお願いします

ブラック・ダリア 

ブラック・ダリア」を観た。

監督はブライアン・デ・パルマ。主演はジュシュ・ハートネット。

原作はアメリカ文学界の狂犬と言われる、ジェイムズ・エルロイ

パルマ監督お得意のスリラーものと知って、一も二も無く公開2日目に観に行った。

が、完全に拍子抜け。ちょっと、話しが余分に複雑。原作は読んでいないが、あれもこれもと捨てられずに作ってしまった感がある。

小説では必要かつ魅力的なシークエンスなのだろうが、それはあくまでも小説の世界。映画ではそうではないハズで、小説をそのままなぞっても映画的にはならないと思う。

物語は、二人の警察官と一人の女性の三角関係を軸に、その女性の過去と、それぞれの警官の生立ちや、黒い過去と悪事が描かれ、タイトルになっている「ブラック・ダリア」事件を機に、それらが複雑に交差しながら、頽廃した愛憎と欲望とが表現されている。

と、極めて簡単に書いたが、実際には同性愛あり、不倫ありの、ボクシング、汚職、猟奇殺人ありの、映画界の裏側あり、近親相姦ありの、他人の空似ありの、もう天篭り。

これらを一貫したトーンで纏め上げたのは大したものだが、如何せん複雑。

少なくとも、話の重要なポイントである、ブラック・ダリアと呼ばれる女性とヒラリー・スワンク演じる令嬢が設定通り「瓜二つ」であるべきなのに、そうで無いために余計に複雑化して見えるし、観客を遠ざけている一因となっている。

エルロイ原作でアカデミー賞2部門を受賞した「LAコンフィデンシャル」も観たが、一時はお蔵入りになりかけたのも頷けるほどの複雑な作品だった。

多分、非常に映画化しにくい性格の原作なんだろうとは思う。

ただし、「血とエロスのミステリー」的デ・パルマの世界と「ブラック・ダリア」の世界は非常に似通っていて、デ・パルマが監督するには持って来いの題材。

思いきって、バッサリと切るべきところは切って、もっとデ・パルマ節全開ってのを期待していたのだが。

それには監督自身が脚本書かないといけない。はっきりいって、この監督、他人の脚本だと本領を発揮できない傾向がある。

「アンタッチャブル」や駄作「ミッション・イン・ポッシブル」が代表作だなんて言われているが、デ・パルマと言えば、やはり「殺しのドレス」だし「ミットナイトクロス」だ。

前作「ファム・ファタール」も自身の集大成的映画と言われながら、往年の傑作を凌ぐことはできなった。

デ・パルマおじさん。作品を重ねるごとに、キレもコクも薄くなってきているような気がする。

そう思うのは、私だけか。

時々クリックお願いします

秋晴れの空に 

北朝鮮の核実験が成功か失敗かなんて論議はどうでもいい。

核実験が成功か失敗ではなく、それほど北の国が危機的に逼迫している状況のほうが深刻なのに。

日米韓や英仏など9カ国が経済制裁を決議し、兵糧攻めで圧力をかけることになったが、北の指導者はどう出てくるのか。

さらに追い詰められた感はあるが、「これ以上、失うものがない」状態の北の国は何をするのか。

韓国ソウルでは連日デモが行われているし、核シェルター付のマンションに問い合わせが多く寄せられているらしい。

同胞さえも見限っている状態。

訳のわからない暴挙に走ってしまわないか心配である。

KAT-TUNの最前列が誰に換わるか心配している場合ではない。

誰が脱退しようが、脱退理由が曖昧であろうが、解散を否定しようが、そんな論議はどうでもいい。

換わりにジダンが入いったら、それはそれで大変なことかも知れないが。

今日は、清々しい秋晴れ

北朝鮮が滅びるときは地球を壊すともいわれている。

そんな日本の空にミサイルが飛んでこないことを祈る。

時々クリックお願いします

シリーズ最強 

デアゴスティーニの本はどんな人が買っているのか。

自分のまわりで買っている人は見ないし、聞いたこともない。

デアゴスティーニといえば、「ある分野の本格的な知識やハウ・ツーを週刊や隔週刊形式で少しずつご紹介していく」パートワークタイプと言われる発刊物である。

毎回TVCMで何が出るのかある意味興味はあった。

前シリーズの「週刊フェラーリ・ラジコンカー」には思わず触手も動きそうになったが、最新シリーズは「隔週刊ビーズ・アクセサリー」だったりする。

過去のシリーズにどんなものがあるか調べてみた。

「週刊戦艦大和を作る」「週刊マイロボット」などの組み立て式や、「隔週刊チャンピオン・バイク・コレクション」などのコレクションシリーズはある程度理解できる。

マニアックなところでは、「隔週刊世界の昆虫データブック」「週刊鉄道データファイル」。「週刊漢方ライフ」なんかは、一体誰が買うのだろうか。

しかし、創刊から約5年で34シリーズ。ある程度売れ続けていないと、こんなには長く続かない。

以前、レコード会社を干された歌手が、書籍にCDを付けて出版社から売り出したことがあり、人気を取り戻したケースがある。今後、デアゴスティーニでデビューする歌手もありかもしれない。

私としては、デアゴスティーニ発刊物シリーズコレクションなんか発売してほしい。

内容は、各シリーズの精密な豆本とそのシリーズ発刊の企画書や発行部数の経緯。読者の反応と編集部の反省や今後の対策なども詳しく掲載。

さらには、シリーズ担当者のその後などを盛り込めば、悲喜交々の人生模様も楽しめるかも。

創刊10周年記念特別号。

最もマニアックなシリーズになりそうだ。

時々クリックお願いします

レディ・イン・ザ・ウォーター 

レディ・イン・ザ・ウォーターを観た。

監督はM.ナイト・シャマラン

以前、この監督を追った面白いドキュメント映画があり、その中で「シャマラン監督は、異常なほど"水"と"死"に対して執着している」と言っているくだりを思い出した。

「シックスセンス」ではさまよう幽霊。「アンブレイカブル」の超能力者はプールで溺れそうになり、「サイン」では事故死した妻の不可解な言葉とコップの水、といった具合。

最新作の本作は文字通り「ウォーター」。水死しかたのような青白い顔をした女性のイメージショットのTVCM。前作「ヴィレッジ」でも死と決別できなかった監督の最新作は一体どんな作品なのか。

物語は、単調な生活を送っているアパートの管理人クリープランドの前に、突如"水の精"だという謎の女性が現れた事から始まる。

彼女は一体、何のためにやってきたのか。どこからやって来たのか。

東洋の古い「お伽話し」どおりに事態が展開していく中、魔物に傷つけられ彼女は瀕死状態に。彼女を救う方法はあるのか。

謎を解く鍵は全てアパートの中にあったのだった。

で、結果はある意味期待どおりの作品。

全世界的にヒットした「シックスセンス」以降、賛否両論の多い監督だが、今回も更に賛否渦巻く作品に間違いない。

この監督の作品は、基本的に俗っぽい絵空事なのだが、ストイックであったり品格のある人物達を、大袈裟に大マジメに重厚に描くことで、格調高いものになっていた。

しかし、今回は、いつもとは様子が違う。登場人物が全員俗っぽいのだ。

話しの核となる「お伽話し」をけたたましく喋る韓国人母娘。右半身だけ鍛えている筋肉バカ。意味も無くたむろして駄弁っている若者達。

それに、今までは絵空事を絵空事として認識した上で昇華させていた感じだったが、今回は逆に核である「お伽話し」を監督自体が格調高いものだと勘違いしているんじゃないかと思える。

「ヴィレッジ」でもそのきらいがあったが、そこがこの映画にノレるかノレないかの境だろう。

映画は終盤、シャマラン節が炸裂。意味深長な仕上がりとなっていて、乗っかった私としては結構楽しめた。

とはいえ、チョット何かが足りない。それは、いままでのどんでん返しも封印していることではない。

観る者に対する説得力というか。必然性というか。

今までとは一番違うのは、登場人物が例えおバカな話だとはいえ、生死に係る状況に「好むと好まざると」追いこめられて行くのに対し、今回は全員がそこまで係っていない。無視しようと思えば無視できる状況なのに、そこまでやるのかって感じ。だから、観客もノレない部分が出てくるのだ。

登場人物が多く、それらの人を深く描写できてないことも影響している。

何が面白いのかと思う人も多いはず。面白いと言う人が少ないのかもしれない。

この監督、だんだんコアな方向に進んでいて心配ではある。

けど、それはそれで好きなのだけど。


時々クリックお願いします

トーク 

喋りが上手い人の話は、聞いていて疲れない。

喋りがマズイ人の話は、人を疲れさせる。

先般、仕事の打ち合わせで先方に出向いたときのこと。

相手の話しを聞いていてイライラ感が募って仕方がなかった。

「何度も申しますが」

話しの途中途中でこれが何度も出てくる。本人は念を押しているつもりなのだろうが、余り多いと効果もないし、耳障り。

「何度も申しますが」。このフレーズが入ると、話は振り出しに戻る。一通り話すと、またそのフレーズがカットイン。それをキッカケに話しがループ。「何度も申しますが」。またループ。無限連鎖的にループ。

あまりの執拗さに息苦しささえ覚えてしまう。何度も申されても、既に私の思考回路は停止しているし、聞くことをさえ拒絶しているってのに、何を何度申しているのだ。いい加減にしてくれ。

幸い窒息は免れたものの、開放された時はグッタリ状態。

後日、2回目の打ち合わせ。

メモを取るふりをして、何回言うか正の字を書いて勘定してみた。

結果、30分の間で15回以上。ということは、は実質2分間しか中身がないことになる。

しかし、繰り返されるそのフレーズが障壁となり、私の頭にはその2分間の中身さえ残っていなかったりする。

ただ、その言葉が虚しく頭にこだましているだけ。

「要するに」「早い話が」と言う人ほど、要約できていないし、話しが長い。

「何度も申しますが」を繰り返す人は、プラス中身が薄い。

延々中身のない話を聞かされる。これほど疲れるものはない。

人のフリ見て我がフリ直せ。

そんなところか。

時々クリックお願いします

豚肉とキノコの味噌炒め(250kcal) 

mabo[10/01晩飯]
・豚肉とキノコの味噌炒め
・ナスのゴマ醤油和え
・エノキのスープ
・めし
(約500kcal)

朝晩メッキリ涼しくなってきた。

と、言う訳で秋らしく、キノコを使った料理。

シメジとマイタケ、豚肉を味噌で炒める。味付けはシンプル。味噌、酒、砂糖。これだけ。

ご飯に合うんだ。これが。

汁物にはエノキダケ。小松菜も入れて鶏がらスープに。

秋はナスもウマイ。ラップに包んでレンジで2分。茹でるより簡単。

ゴマ油と醤油と酢で和える。白ゴマを散らして風味豊か。

これから食欲の秋本番。

ご飯が進むオカズは罪だったりする。



時々クリックお願いします

分身 

サイフを買い換えた。

これまで使っていたのは頂き物。

ブランド物で結構な値段のモノだったが、その面影もないくらい使い込んでいた。

上品だった皮の外装もボロボロ。それでも気にせず使っていたのだが、つい最近、小銭入れのホックの部分が壊れてしまったので買い換える気に。

実に12年使用。サイフにわが身を提供した牛としても本望だろう。

このサイフは、それ以前に使っていた財布の余りのボロさを見かねた知人から買って頂いたものだったが、その財布もまた、かなり長い期間使っていたのだ。

と言う訳で、過去覚えている限りで、サイフを換えたのは3度目。

他の人は知らないが、一体、どれくらいのスパンで財布を換えるのだろうか。

腕時計を着けない私にとって、財布ほど身近で毎日使いながらも、これほど長期間使うものは他には無いんじゃないか。

どんな服だって、靴だって12年は使わない。近いのは鞄の類なのかも知れないが、財布ほど身近ではない。

そういう意味では、わが身の分身っぽい。

「財布を見ればその人物の人となりが判る」のかも知れない。

が、ボロボロなのに捨てられずにいる私は、モノを大切にする性分でもなんでもない。

単に、モノグサで大雑把だったりする。正解。それが私の性格。

自前で買ったのは遥か昔。一体、財布はどこで買えるのか。

本気で悩んでいた今日この頃。

やっと買ったその真新しい財布に、私自身、まだ馴染んでいない。

時々クリックお願いします
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。