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症状 

我ながら貧乏性だと思う。

有名高級レストランのお食事券が当った。

有名ブランド牛を食わせる店だ。

まだ、僅か48字しか書いていないのに、高級と有名を繰り返し書いているところから、やっぱり貧乏性だと思う。

しかも、ブランドに有名をくっつけてしまう辺り、情けなささえ漂ってくる。

何はともあれメニューを見た。

高い。ランチなにの高い。いつもの何食分かと、日常の昼飯代で除してみたりする。一番最上段に鎮座するヤツの解は5.12。

金曜日まで食っても余りある。とんでもない。どれだけ高級で有名だろうが、海のものとも山のものとも分からないのに、いきなり虎の子の1/3を委ねる訳にはいかない。

と云うわけで水曜日分までで手を打つことにした。

その昔、水曜日にやって来るという伝説の大波に挑戦する若者を描いた「ビッグウェンズデー」という映画があった。大波がくるだろうか。

程なく目の前に出された水曜日は意外な程の小波だった。

調子を崩した投手のように一抹の違和感を感じながらも、さすが噂の有名でブランドな牛、かなりコジンマリとはしているが中々どうして色艶が違う。と踏ん張ってみる。

その一片が灼熱の鉄板の上から食べごろサインを出す。第一投目が口の中へ投じられた。上下の歯が確実にミート。コンパクトだが力強い租借。どうだ。

判定は。どうだ。旨いのか。スゴク旨いのか。どうか。

んー微妙。

まったく、アンパイヤの選球眼も信用できない。

この分では、思い描いていた1ケ月分相当の最高級ディナーメニューに対応できそうにない。

最安値のカツ丼10回分にしようか。

それも如何なものかと思案する今日この頃。

性ではなく、症状ではないかと思えてきた。
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バベル 

物語はモロッコの羊飼いの少年が放った一発の銃弾から始まる。

その事件によってモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本を舞台とした各エピソードが連鎖的に繋がっていく構成。

瀕死の妻を助けるべく救いを求める夫、誤解が生んだトラブルに巻き込まれたメキシコ人乳母、人を撃ってしまった羊飼いの少年とその家族、東京に住む聾唖者の女子高生。それぞれの混乱と苦悩。彼らに救いはあるのか。

まず、ケイト・ブランシェットが凄い。

ブラッド・ピット演じる夫とモロッコの砂漠の中のレストランで会話するシーン。彼女のアップ。その表情。深い。

喋らずとも、この夫婦が抱える問題、危うさ、不安がその神経質そうな彼女の顔から汲み取れ、ハッとするのだ。

アカデミー助演女優賞ノミメートの菊池凛子、アドリアナ・バラーザも確かに良いが、あの表情だけでもオスカーものだと思う。

「全体的に登場人物の深みに欠けている」との評を聞く。確かにそういう面も否めない。そのうえ日本との繋がりも少し無理があるように思える。しかしながら、上滑りせず、重厚な趣が破綻していないのは彼女らの演技があってのことだと思う。

言葉が通じないがゆえの誤解と不安。しかし、実際にはそれが問題なのだろうか。

全人類が同じ言語を持っていれば、確かに問題は少ないがゼロではない。現に、夫婦の間にも、メキシコ人と国境警備員の間にも、の山間民族と警官の間にも、共通言語はある。親子の間にも手話という共通言語がある。しかし、伝わらない。

すべては、それぞれが抱いている偏見や恐れが招いたものではないのか。

ラスト、それらを払い去り互いの心を通わせ得たのは「言葉」によってではなかった。

相手に対する姿勢、行動であり、抱擁である。

切羽詰った極限状態まで追いこめられないと、それが分からない。

それが痛々しく悲しいのだ。

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kotoba 

電車に乗っていてこんな会話が聞こえてきた。

背後の席の女子高生である。

「それじゃ、ミジンコだよね」

どうやら「超大きい」に対する「超小さい」といった意味合いで表現した模様だが、対義語ミジンコだったとは。

と蟻んこ」程度なら無邪気だが、太古の天体「」と水に漂う微小な「プランクトン」の対比。何だか神秘的幻想的な世界観さえも醸し出している。を持ち出しておきながら「スッポン」としなかったのは、その慣用句としての意味合いでは誤解が生じると考えてのことだろう。

「でも、それってよくなくなくない?」

今更ながらこの言い回しは凄いと思う。結果、「良い」の意味だと思われる。肯定+否定+否定+疑問といった複雑で、ある意味文学的な形態の言葉。

こいつを瞬時に言って、瞬時に理解し得るとは恐れ入る。一瞬で理解することは原理的には不可能だと思うのだが、出来るところを見ると、もうそれは言葉であって言葉でない言葉。ある種記号化されたものなのだろう。

記号は双方が共通認識を持っていないと意味をなさないが、まさにそれと同じで、友達同士だから成しえる技だと解釈したい。多分、「よくなくなくなくなくなくない」と言っても彼女らはタチマチ理解してしまうのだろう。

きっと、上司に「よくなくなくない結果がでました」と報告したら、すぐさまお暇を頂けるに違いない。

「ふつーに凄くねっ?」

凄いのか凄くないのか。ハッキリして頂きたい。と思うが、彼女らにはハッキリしているのだ。それは決して"特殊"な条件下ではなく文字通り"普通"な条件下において、「凄い」のだ。

きっと、これも先出の共通認識に立ち返るため、土台しての共通認識を醸成するための高度なテクニックなのだ。

そう思い巡らしていたら、急に静かになった。彼女らが降りたのだ。

動き出した車窓から午後の日差しが心地よく差し込む。

けども少し肌寒い感じがした。

再び目を閉じて寝たふりをした。

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自由の範囲 

付きまとわれるのは面倒だ。

ウスノロの二足歩行の種族と一緒より、ひとりで自由に駆け回りたい。

人間の散歩に付き合うなんて。ゴメンだ。

我が家の気まぐれお犬さまはきっと、そう思っているに違いない。

そんな訳で試しに長いリードにしてみた。10m程はあるだろうか。リードといえば聞こえはイイが、単なるナイロンの組紐。

こちらがこれを掴んでいさえすれば、なんなら地面に杭を打ってそこに結んでいさえすれば、付き人の私目がいなくともお犬さまは元気に、ある程度自由にお遊びになられあそばすハズである。

私を中心とした10mのコンパスってな具合。しかし、そんな悠長な思いは一瞬に消し飛んだ。

一向に追従してこない家来を怪訝に思われたのか、所定の距離で一端振返られた殿だったが、首のあたりにいつもの緊張感がないことに気づくやいなや、犬ながらに脱兎の如くダッシュ。

くんぐんスピードがあがる。まさに野生の姿。しゅるしゅると引き出されていくリーダー。持つ手が熱い。

伸びやかで流麗な野生がトップスピードに至るまで、10mはいらなかった。

強烈な衝撃が掌を襲う。と同時に、ビッシっと張り詰めたリーダーの向こう側で、もんどりうって宙を舞われた殿。

通常では頭より後方に位置している後ろ足のほうが前方に飛び出している様は、見事なまでにアクロバチック。荒業。一瞬間に反転したハズなのに、確かにスローモーションだったような気もする。

後ろ足前方投げ出しヒネリ。E難度。10点超。

それでも続けて態勢を立て直し、猛然と逆方面へ。そこでもスローモーション。再び逆でスローモーション。

いかん。これでは虐待しているように見えるではないか。

そこへ通り掛かりの自転車が。野生化した殿が矢の如く襲いかかる。

いかん。いかん。まるで有線コントロールで襲わせているようではないか。

面倒で、いや、良かれと思ってやったことが、余計面倒なことになってしまった。

過ぎたるは及ばざる如し。

自転車の人に頭をさげる家来をよそ目に、興奮さめやらぬ嬉々としたご様子の殿。

まぁ、かわいい奴である。

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