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ある水準 

男性トイレに女性がいた。掃除の女性である。

掃除婦さん」や「掃除のおばさん」といわれる人だが、やはり女性。

日頃、見慣れた光景だが、これは「普通」のことなのか。

男性が用をたしている中、トイレを掃除する女性。

これが逆だったら大変だ。おじいさんが掃除していても、例外無く女性はいやがるだろう。

なのに、我々男は、おばさんを許容してしまう。

「婦」という字の由来は、箒をもっている人を現しているらしいが、掃除は女性、未だにそういう考えが我々日本の男の意識の中にあるのか。

そういう意味では、外国ではあり得ない光景かもしれないとも思う。

実際、男性トイレは「掃除夫」、女性トイレは「掃除婦」でよさそうなものだが、あまり「掃除夫さん」を見たことはない。

やはり、許容によるところの「両刀使い」ができる「婦」の方がパホーマンスが高いといった算段の結果なのか。

では、その許容はどこから来ているのだろうか。

それは、おばさんに「母親」を見ているからなのかも知れない。

普通、トイレに麗若き女性がいたら、男は落ち着かないハズ。きっと、強烈な違和感に苛まれるだろう。

しかし、これが母親の年代の女性だったらどうだ。その違和感はかなり和らぐに違いない。母親が水準なのだ。

我々は掃除婦さんの心持とは関係なく、勝手な水準で「勝手に許容」してしまっている。

ここら辺りが答えなのだろう。

先日、スーパー銭湯で若い女性のスタッフが、生々堂々と男風呂に入ってきたことがあった。

単に、客の呼び出しだったが、そこら中にいた男どもが一斉にドギマギしたのは笑った。

ホントに勝手にドギマギと。当然、私も含めて。

男という生き物。

バカなんだ。これが。
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センス 

音感がない人を「音痴」という。

運動ができない人を「運動音痴」といったりもする。

言葉的にはやはりおかしいが、要はそれに対して「酷く鈍感」だということであろう。

素人ならともかく、プロになる人物だったら、音感や運動神経が敏感で素晴らしいことはモチロン、それに加えセンスが必要になる。トッププロならなおの事。

状況判断力。数値化できないような微妙な違いを感じ取る力。それを具現化する力。どんな思考を凌駕する勘。等など。

強引な言い方をすれば、それらを包含した広い意味での「反射神経」。それがセンス

とある法相裁判員制度の広報用看板の文言を書き換えさせた。その理由は「センスが悪い」からだそうだ。

「国民のセンスを採り入れるのが趣旨の制度なのに、市民感覚がない」と怒っていたらしい。

確かに「裁判員参上!」とは、どうかと思う。

しかし、この法相「友人はアルカイダ」や「冤罪ではない」「ベルトコンベヤー式死刑執行」などと「不適切発言」いわば「センスなし発言」を連発した人物。

自分のことは棚に上げ祭っちゃって。訳がわからない。

自分の市民感覚の無さにも気づかない鈍感さ。法相としてのセンス、政治家としての反射神経もかなり足りないのではないかと思ったりする。

先頃、航空自衛隊のトップなる人物が高裁判決に対して「そんなの関係ねぇ」と発言していたが、これもまた、センスを欠く話である。

他にも過去に信じがたいほどの「センスのない発言」をしてきたこの国のお偉いさん方は多い。

音痴な歌を聴きたくなければ、対応策はふたつ。

そのカラオケ屋を出る。

音痴な人を退場させる。

この場合、何も我々が出て行くことはない。

ここはやはり、そんなセンスのない人達は、早々に退場を願いたい。

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クローバーフィールド 

話題の映画は何とも形容し難いものだった。

話の筋はこうだ。

夜のニューヨーク。転勤が決まった主人公を祝うためのサプライズ・パーティの最中、突然爆音が鳴り響いた。

次々に炎に包まれ、パニック陥っていくニューヨーク市街。軍の攻撃をものともせず、破壊の限りを尽くす謎の物体。

未曾有の大惨事の中、理由も分からぬままただ逃げまどうことを余儀なくされる人々。

主人公は彼女を救うことができるのか。謎の物体を制止することができるのか。

ストーリー的にはまぁこんなところであるが、映画自体はドキュメンタリー風で、パーティのビデオカメラがその大惨事を一部始終記録していたと言う設定になっている。

全編ビデオカメラを撮影する人の視線のみで映画が展開して行くというのがミソらしい。

手持ちのカメラで、しかも、ど素人の撮影(という設定)とあって、ブレまくるし、揺れる、ボケる、ズームイン・アウトを繰り返す、やたらとパンする。まさに下手なホームビデオの見本市的な映像の数々は製作者の狙いどおり。

確かにリアルに見えないことも無い。が、しかし、最初の爆音が鳴り響くまでの十数分間のパーティーシーンは全くイタダケナイ。映画導入部で「大惨事を記録したビデオカメラが発見された」風の語り口であったのに、全く整合性がない。

登場人物の紹介と人間関係の説明に必死。悪い意味で、本当のくだらないホームビデオを見せられている感じがして興ざめる。いったい私は何を観に来たのかと本気で思ってしまったほど、このシーンは長い。

それに、何より気に入らないのが物語を語ろうとし過ぎている点。

突然訪れた悪夢を徹底してドュメント風に仕上げるのに、男女の縺れが必要なのか。もっとシンプルにするべきだろう。

全体的に多弁。これが、この映画に入り込めない要因にもなっている。全編に漂う物語臭さは、作風とは乖離があって鼻につくし、ともすると失笑を誘ってしまう。

少なくとも、パーティシーンが的確で短く、かつ映画導入部の設定が無かったら、この映画から受ける感じはもっと違うものになっていたかもしれない。

昔「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」という映画があったが、手法的には一緒。斬新だと言われている全編手持ちカメラの映像も前例がある。

どちらも諸手を挙げてスゴイと思える映画ではなかったが、取り残された一人が撮影を続ける独白的で一人称的なシーンが強烈であった「ブレア」の方が好感が持てる。

「ブレア」の制作費はたったの3万ドル。こちらは巨額の制作費がつぎ込まれているハズ。

製作は「MI:Ⅲ」で大抜擢されたJ・J・エイブラムス。TVの大ヒットドラマ「LOST」や「エイリアス」も手掛けている人物。

「クローバー」も映画じゃなくて、1時間物のTVドラマ程度で丁度良かったのではないか。

そうすれば、ビデオカメラという設定ももっと活かせたのかも知れない。

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おまかせ 

同僚に連れられ、昼飯を食いに出た。

揚げ物中心のお店らしく、トンカツやらエビフライ定食のメニューが並んでいる。

厨房の料理人は、真っ白で背の高いシェフ帽を被っている。そのせいか、どれも結構イイ値段。

我が昼飯ボーダーライン以下で頂けそうなのは、コロッケ定食くらいか。

そう思っていると、牡蠣の文字が。実のところカキフライは好物である。

一瞬、同僚が注文した「ヒレカツとエビフライの盛り合わせオムライス定食」に心を奪われそうにもなったが、やはりここはカキフライを筆頭にヒレカツまでも擁する「おまかせ定食」に決める。

まず同僚の分がやってきた。

文字どおり、見たまんま「ヒレカツとエビフライの盛り合わせオムライス定食」である。オムライスの黄色の上に、年老いたキツネのような色の揚がりすぎた各フライが鎮座している。それだけ。配色も含めあまりに無造作すぎる。

何やら不穏な気配。

おまかせ定食」がやってきた。

見た目、やはり揚がりすぎてはいるが、一応の体裁は保たれているようだ。

これはヒレカツか。エビフライもまぁこんなもんだろう。箸休めにつけ合わせのキャベツを食う。

なんとなく違和感。千切りにしては厚すぎるし、角切りにしては細い。んーなんとも口に障る触感。

淡々と仕事を進めている厨房のシェフ帽を見る。フライの色といい、キャベツのカットといい、センスを疑ってしまう。

気を取り直して、次のフライ。何だ。ん?何?ハム?ここにきてスカスカのハムのフライとは。

まぁ、「おまかせ」だし、値段もそこそこなんで仕方ない。最後の砦、カキフライがある。と言い聞かせる。

果たしてカキフライとの対峙となるが、何やら面持ちが違うような。

おそるおそる箸を入れてみる。なんだこれは。クリームコロッケではないか。

やられた。確かに「おまかせ」なんだけども、カキを表記しながら、それを正面から外してくる。尋常じゃない。

おまかせ」は何でもありか。

確かにカキの季節は過ぎているかもしれない。季節じゃないから外しましたも「おまかせ」のうちか。

おまかせなら許されるのか。

「おまかせ」という言葉の前では、まかせてしまった客としては屈するしかないのか。

敗北と落胆の色を引きずったまま店を出る前に、再びメニューを見た。


まかせるんじゃなかった。

寂寞の思い。

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