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民意 

結果、民主党の圧勝だった。

大方の予想通りであったが、これほどまでとは。

ついに政権交代。とは言われているが、現行の小選挙区比例代表併用方式での選挙はこのままでイイのだろうかと思ってしまう。

かなり疲弊した制度ではないかと思う。

そもそも国の議員を選ぶ選挙である。なのに、異常に細分化された選挙区。1票の重みの格差も大きい。

数十年前ならいざ知らず、交通も情報も発達した今の時代、もっと大きな選挙区で選挙をやるべきだと思う。無駄に道路を作ったりする、おらが村の国会議員は要らないである。

全国を有権者数が同じ位の10選挙区程度に分ける。議員定数も一定とする。そして、死に票の「死に票たる由縁」を軽減するために、1名に投票するのではなく、1位から3位程度までを投票するのだ。

比例代表制で気に入らないのは、その党の名簿順の上位から自動的に当選者が出ることだ。

同一党内の全国区の立候補者の中から、1位から3位程度までを併せて記載して投票したらどうか。その党の得票の多い者が上位となるのだ。そうすれば選挙区で敗退した者が復活しても、今ほど違和感は少ないハズである。

そして、お次は総理大臣選。

いつまでも、現在の互選方式でいいのか。

アメリカの大統領になるためには何が必要か。党内での指名獲得は当然である。それよりなりより、あのバカでかい国土を走り回り、直接有権者を納得、説得するだけの色々な能力が必要とされる。そして、その戦いに勝利した者があの大国を治めているのである。

政権交代。吉と出るか凶とでるか。一度、やらせてみないと判らないのは確か。

しかし、もう少し民意が反映される選挙制度であってほしい。

自分達で選んだ政治。

そうすれば、今までより納得できるのでは。

その結果がどうであったとしても。
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うちへかえろう 

我社では、毎週水曜日がノー残業デーである。

終業時間後後、きまってあるアナウンスが流れることになっている。

「組合員のみなさん、本日はすいすい水曜日です。残業申請をしていない方は早目に帰宅しましょう。」

要は、残業せずにすいすい帰りましょう。すいすいの水曜日だから。なんて具合なんだろうけども、あまりに事務的な口調と味気ない音楽なので効果の程は分からない。

いつも思うのだが、流すなら、もっと、劇的に帰りたくなるようなものを流せばいいのではないか。

蛍の光ではどうか。

閉店間際のパチンコ屋みたいで、皆そわそわするかも知れない。

オフコースの「さよなら」では。

もう終わりだね さよなら さよなら さよなら この辺りのフレーズは直球すぎるが、基本別れの歌なので、帰るどころか切なくなってしまう。もうすぐ外は白い雪。なんてのは冬にはイイかも知れない。しかし仕事とは何の関係もないではないか。

「夕焼け小焼け」や「故郷」も郷愁を誘うが、思わず実家にまで帰ってしまう奴が出てくるかも。

「ドナドナ」では悲しすぎる。完全に打ちひしがれてしまう。

個人的にはドボルザークの「新世界より」の第二楽章が結構こたえると思う。

これに日本語歌詞をつけたのが「遠き山に陽は落ちて」。

遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
きょうのわざを なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽しき まどいせん
まどいせん

心底侘びしい。終わりの辺りは意味わからんが侘しすぎる。

遠い日の少年時代。キャンプファイヤーの夜。空を見上げ、わけも無く何だか家に帰りたくなった。

思い出したら、目頭が熱くなってきた。

帰りたい。

何処へだ。

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夏の泣き声 

もう、コオロギの鳴き声か。

いつもより早く帰宅し、縁側で夕涼み。

随分、涼しくなった。

煙草をふかす。

汗だくだった肌に、微かな風が心地いい。

日中は暑かった。

久しぶりに午前中から現場に出たため、沢山汗をかいた。

臭う。次の仕事の前にシャツを着替えた。

月末の仕事の打ち合わせに市内の幼稚園へ向う。本来ならノーネクタイ。しかし、初対面の相手、暑いとは思いながらも、そうもいかない。

締めるなり噴出す汗。

ハンカチを忘れたことに気づいた。着替えた時に置き忘れたらしい。

園内を見て回る。流れる汗。仕方ないので手で払う。

事務所に通されソファーに座るよう促された。厚い。クッションが厚い。暑い。全身暑い。

随分若そうな保育師さんと目が合う。年のころは二十歳前後か。あまり効いているとは思えないエアコンの中にあっても、汗ひとつかいていない。

そう云えば、若い女性は何故いつも涼しげなのか。化粧のせいか。ひょっとしたら、汗などかかない構造になっているのではないか、と思えるほどに。

流れ出す汗をそれとなく拭きさりながら、園長先生の話に相槌を打っていると、先ほどの涼しげな保育師さんがお茶運んできた。

いただきます。熱い。お茶が熱い。

いきなりの温熱性入力に意表をつかれた体温調節中枢は、全身の毛穴を一斉に解放。腹から熱い。全身暑い。

止めとなく流れる汗。打ち合わせもままならない。

発汗は体温を下げる作用をもつ。ただし、それは汗が蒸発した場合に最大となる。蒸発するとどうなるか。すなわち臭う。このままでは臭う。

いや、既に臭っていたのでは。

そういえば、お茶の量が多かったような気もする。

早くお引取り願いたかったのか。

涼しげな目元が一瞬曇ったようにも見えた。

どうにか、打ち合わせを済ませ、外に出る。

車に乗り込む。見送りされているので、乗り込まざるを得ない。案の定、更に暑い。

滝のような汗。

にこやかにその場を後にしたが、汗は止まらない。

車中にタオルがあったことに気づいて、思いっきり顔を拭いた。

あの涼しげな保育師さんも、きっと汗はかいているハズ。

ただ、サラサラと薄っすらと。

そう、若い人間の汗はそうなのだ。そして、だからサラっと乾くのだ。そうだ、会社の若い連中もそんな感じだ。

それならば、私のこの汗は。

何か体内の「いけない成分」でも一緒に分泌されているのだろうか。

じっとりと脂汗。

しっかりとオヤジ臭。

コロコロコロリー、コロコロコロリー。

そっとコオロギの泣き声を真似してみる。

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魚肉ソーセージ 

まだ西日のキツイ夕刻、買い物に出かけた。

予め夕食の献立を決めていたので、時間はかからない。

今度の総選挙で与野党が逆転したとしても、食材のグレードが劇的に変わるとは考えにくい。

ちょっと小腹が空いていたので、何かつまめる物を買うことにした。

魚肉ソーセージ。懐かしい響きである。

帰りの車の中で1本食べることにした。

赤いビニールの外装を破り、中身を取り出す。

金属の止め具が両端にあり、昔と変わらない風貌であるが、内装のフイルムの色は赤ではなく透明。

こんな商品もあるんだな、と思いつつ、その透明なフイルムを剥がしにかかる。

運転中なので、当然切るものはない。やはり昔やったように歯で開ける。

こんな時は、いつもそうだったが、フイルムがヘンな所で切れてしまったり、フイルムの裏側に中身が微妙に薄くくっ付いたりして何だかイラついたものだ。

特に、両端の留め具の付近に情けない位の量の、ピンク色の魚肉がへばり付いている様を見せ付けられた時には、いいも言われぬ敗北感に襲われたりした。貧乏人の悲しい性で、その部分を食べようとフィルムに喰らいつくのだが、その行為自体も情けなさを倍増させるものでしかなかったのを思い出す。

しかし、どうだ。いとも簡単に、あっさり剥がれるではないか。

透明なフィルムはそのまま透明である。

剥がれるというより、剥けたという感じ。それもつるんと。

なんという爽快感。最早快感でさえある。

どうやら「マジックカット」という製法らしい。

この包装、よくぞ開発したものである。

と、思ったものの、綺麗に剥がれるフイルムっていうのは添加物が多く使われているんじゃなかとか、他社製では留め具を無くしたものさえある中、いまだに金属を使っているのもどうか、とかなんとか、色々なものが脳裏を掠める。

一瞬間訪れた爽快感。

すかさず首を擡げる閉塞感

相変わらず西日がキツイ。

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三文芝居 

昔、「皇帝のいない八月」という映画があった。

日本で自衛隊のクーデターが起こったらという構想のこの映画、若かりし日の渡瀬恒彦がキレた首謀者を熱演していた。

このタイトル名、原作ではその意味は明らかにされていないが、映画では決起開始を示す暗号として使われていたことを思い出す。

今月17日、神様(21)が逮捕されたニュース。

当然、本物の神ではない。神もそんなに若くはないし、無論逮捕されたりもしない。

捕まったのは「ひったくりの神様」。既に3年前に18歳で別の窃盗容疑で起訴されていたらしいが、このほど再逮捕されたとのこと。

13歳から盗みを初めたこの男、その余罪は約1000件。なんでも、その手際の良さから仲間内で「ひったくりの神様」と呼ばれていたという。

紙面によると今回の逮捕劇には、ある理由が。

なんと、先に逮捕されていた「帝王」の供述から「神様」の関与が判明したらしいのだ。

何だかギリシャ悲劇みたいにスケールが大きい響きだけども、そこはしょせん三文芝居。

「帝王」とは仲間の別の元少年のこと。

なぜ帝王か。これまた、仲間内から高度なひったくり技術を持つとして「ひったくりの帝王」と呼ばれていたと云うから呆れてしまう。

この「神」と「帝王」、盗みの件数や技術を互いに競っていたというから恐れ入る。

暗黒面の切磋琢磨か。

既に帝王は塀の中。色めき立つ神様。

ここぞとばかりに引き離そうと窃盗を繰り返したのかも知れない。

そう「帝王のいない八月」のそのうちに。

そして、終には、帝王も神もいなくなった8月。

クーデターでは無く、全く逆に平和が訪れたのは喜ばしい。

もっと、違う道で切磋琢磨しろっての。

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G.I.ジョー 

あまりの暇さ加減にウンザリして、映画でも見ようってことに。

モーニングショーなる割引で幾分安く見られるので、この映画にした。

全く期待はしていない。時間潰しのようなものだから。

物語は近未来が舞台らしい。最強のウィルス兵器「ナノマイト」の争奪戦が主な内容だ。
なんでもこの武器、ナノテクノロジーを駆使したもので、金属という金属を食い尽くしてしまう超危険な代物。こいつを移送中の主人公のデューク率いるNATO軍が超ハイテク兵器で武装した謎の悪者=秘密テロ組織「コブラ」に襲われるが、これまたハイテク武器の秘密部隊が参上。間一髪、危機を免れる主人公。それは史上最強の国際機密部隊「G.I.ジョー」だった。
この武器を手に世界を支配しようと企む「コブラ」と「G.I.ジョー」の壮絶な戦いが幕を開ける。果たして世界の運命はいかに。

多分こんな感じ。だったと思う。実際、ストーリーなんて無いようなもの。

おバカ丸出しの能天気映画。とにかく、武器や仕掛けが超ハイテクすぎて、笑ってしまう。そもそも秘密基地だもの。敵も見方も。砂漠の地下だし、南極の氷の下だもの。

どこがG.I.ジョーなんだ。完全なSF映画。それも今時珍しい大バカときている。

パワードスーツはロボコップみたいだし、スネークアイズなる人物はニンジャタートルみたいだし、敵の衣装はX-メンみたい。サングラスからビームでも発射されるんじゃないかと思ってしまった。

超ハイテクなのに思いっきり肉弾戦。どっかで見たような水中戦。どっかで見たようなマスクを着けた科学者。ニンジャ同士の戦いで、イ・ビョンホン演じるストームシャドーが二本の刀を繋いでナギナタみたいに使うシーン。そうそう「スターウォーズ」じゃん。

一番爆笑したのが、マッハ5で飛ぶ戦闘機。まんま「ファイヤーフォックス」。驚いた事に、このファイヤーフォックスはロシア語じゃなくてもOK。どこの言葉か忘れたが、その言葉で命じればミサイル発射可能だったり。イーストウッドもビックリなのだ。

超危険なウィルス兵器の外観も、「ザ・ロック」やら「トリプルエックス」などでお馴染みの緑だか青だかの透明容器。ちゃんと危険が見える構造だから安心なのだ。残り湯が見える湯沸しポットみたいに。

と、言うわけで、もう何でもありの世界。お腹いっぱい。

続編がありますよってな終わり方。

おかわりは要りません。

まぁ、シエナ・ミラーのピッチリ衣装はもう一度見ていたい気はするけども。

時間は潰せたが、ウンザリ感は倍増してしまいました。

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サマーウォーズ 

新聞に週一で掲載される評論で、満点が付いていたので気になって観てきた。

普段、このコーナーで満点が出ることは少ない上、論調も絶賛状態だった。高まる期待。

予備知識はアニメーションという以外ゼロ。果たして。

物語は、OZ(オズ)という巨大なヴァーチャル空間が、現実の世界と直接深い繋がりをもち、その主要な機能の大半を司っている世の中。
主人公は、先輩の夏希にアルバイトに誘われた数学の得意な高校生の健二。夏季の祖母の誕生祝いを控え、大勢の親戚一同が介することになるのだが、その前で「恋人のフリ」をしてくれと頼まれる。それがアルバイトの内容だった。
そんな中、OZに出現した脅威によって、現実社会に障害が多発する。暴走し巨大化したそれは人工衛星を墜落させようと企てる。その標的は原子力発電所だった。
果たして阻止できるのか。

オープニング。OZの説明が延々と続く。これがモロにアニメチック。まずノレない。

やっと登場した夏季と健二は祖母の前で「恋人である」とウソをつくが、その前段で健二が夏季に肩入れする動機が描かれていないし、その薄っぺらな健二をあっさり(少なくともそう見える)認めてしまう祖母にも興醒め。

兎角、柱であるこの三人が薄っぺらいため、全然話しに乗れないのだ。

登場する大勢の親戚達の描写はそれなりにリアルではあるが、際立ったキャラクターでもない。それに祖母もいきなり死んでしまうものだから、結局は誰にも感情移入ができない状態。

絶えず一緒に生活している訳でもない彼ら。全員が一同に介して仲良いことは伝わるかもしれないが、それだけでそこに人間同士の絆を表現したと云われてもピンとこない。田舎の大家族って素晴らしい。なんて全くの幻想。

同じアニメでいけば、「となりのトトロ」に出てくる「ばあちゃん」や地元の人々の方が圧倒的に人としての絆を感じさせると思う。

その絆とやらとヴァーチャルコミュニケーションを対比させているくらいは分かるが、何を浮き立たせたいのか中途半端。

それは、血の通わないアバター(利用者のネット上の分身)同士の「かっこいい戦い」を嬉々として延々描く監督なり脚本家が、如何にその世界が好きかが顕れているからであり、どうしても「この世界」より「その世界」の方が好きでたまらない。けどね人間の絆も大事なんだよ。ってな具合に感じる。

そうではなく、最早現実的に当たり前に成りつつある「ヴァーチャルな世界」においての絆の可能性を示唆しているんだとしても、その表現方法に問題がある。

それは、登場人物の誰一人として、OZが稼動する世界に何の違和感も疑念も抱いていない点にある。また、唯一それに人の知恵で対向した祖母を殺してしまっている点にある。更には、その暴走を阻止しようとしている人物が他に描かれていない点にある。

だから、この映画では誰も成長しないし、その世界は変わらない。

それは「映画」としての魅力が希薄であることを差す。

原恵一の作品からは「映画好き」が感じられるが、細田監督のこの作品からは単に「アニメ好き」
という臭いがしてしまうのは気のせいか。

OZの説明が冒頭でなく、物語の中でそれとなく成されていれば。
(あんなアニメのお決まり的な描き方でなく、現実世界に浸透している様を描くやりかたは他にもあるハズ)

夏季と健二の心理描写がもっと深いもので、現実世界に登場する全ての「人工物」と料理に関するディテールがもっと細かなものであれば。祖母を殺さず戦の一旦を担わせ、その壮絶な戦が始まるまでの時間が30分短縮できていれば。

もっと、楽しめたのかも知れない。

前作「時をかける少女」は良く出来ていただけに、残念。

アバター同士を戦わせ、それを躍起になってモニターで見ている絵面。

まるでテレビアニメの「デジモン」みたいだ。

と思っていたら、この監督「劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」の監督らしい。

なるほどね。


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チョウミリョウ 

このところ、ゆずすこを愛用している。

ナビスコでも猫スコでもタバスコでも、ましてや、ちんすこうでもない。

ナビスコはヤマザキだし、スコティッシュフォールドという種類の猫がいるらしいが、見たこともない。タバスコは愛用するかも知れないが、ちんすこうは愛用したりしないし、愛用してしまうほど倒錯もしていない。

YUZUSUKO。調味料である。

原料は「ゆず皮」と「酢」と「こしょう(唐辛子)」だそうだ。

頭文字をとってゆずすこ。

知り合いからの貰い物だが、結構使えたりする。

要は柚子胡椒の液体版なのだが、丁度タバスコ風の容器に入っていて、タバスコ風に使うものである。

それこそピザでも何でも合うのだが、個人的には「温かいもの」に良く合うと思っている。

一番のヒットは焼肉。これはいける。大体、焼肉のタレは甘すぎる。ゆずの辛さは肉汁に非常にマッチし絶妙。ポイントは高い。

刺身にも合うとのことで試したが、及第点。ソウメンのツユに入れてみたが、これも同様。

冷たい物には、それなりの印象。

高橋商店さん、この勢いで是非ともシリーズ化してほしい。

山葵ベースのWASASUKO。生姜ベースのSYOUSUKO。

SUKOブラザーズ。

この日本の味で世界を席巻して頂きたい。


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デジタルライク 

誰もいない隣の部屋から突然声がする。

見ると消したハズの先日購入したばかりの茶の間のテレビが点いている。

故障か。それともポルターガイストかなにかか。

理由は簡単だった。

茶の間のテレビと台所のテレビ。どちらかをリモコンで操作すると、どちらとも動作してしまっていたのだ。

茶の間と台所はガラス戸を挟んで隣合わせ。同じ波長の信号を使っているらしかった。

説明書を読むと「設定スイッチを変更」することで、この症状を止めることができるらしい。やってみたら実際できた。何のことはない。

初期不良というレアケースでもなく、恐ろしい心霊現象であるもはずもない。

あいにくだが、こんな平凡な家庭をそんなものが襲うことはないのだ。

時折、隣同士のテレビで同じ番組を見る場合がある。

この時、双方の間に映像と音声のズレが起こっているのが分かる。

以前も茶の間のそこにテレビはあった。でも、これまでは発生していたのかも、発生していなかったのかも気にもしなかったが、今は明らかにズレが認識できる。

台所のテレビはアナログ。茶の間はデジタル。テレビの違いではなく、受信データの違いからくるものだろう。デジタルの方が幾分遅い。

台所の音声を消してみる。

アナウンサーが何やら喋っているが、その声は同調せず、ひと呼吸ズレて隣の部屋から聞こえてくる。

何とも奇妙であるが、なぜか心地いい。

声が、遅れて、くるよ。

デジタルないっこく堂か。

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笑顔の共犯者 

やはり、と言うべきか。

容疑者の妻から、自身容疑者へ。そして、逮捕。

不可解な失踪は、逃亡だった。

イメージと違う。そう云われている。確かに違うかもしれない。

しかし、所詮イメージとの乖離。イメージは作られるもの。彼女の職種上、それは巧みに創り出されてきた。自身とそれを取り巻く者の力によって。そして、それは最終的に受けて側の力を借りて確固たるものとなっていく。

それを最大限に利用したのがCMである。

幸せそうな笑顔のママ。

違うとか、裏切られたという感覚。そう感じるのは、そのイメージを作りあげた共犯者だからにすぎない。

やはり、実体とは違うのだ。

この事件より少し前、あるDVDのCMに起用されているのを見たことがある。

何度か見る機会があったが、何度見ても妙な違和感があった。

今まで醸し出されていたイメージの延長線上にあるようで、しかし地続きではなく演出プランからもどこか浮遊しているような感じ。いつもの例の笑顔がどこか寒々しい気がしていた。

そこにある種、病的なものを感じたのは私だけだったのだろうか。

案外、気のせいではなかったのかも知れない。

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他愛もない話 

帰宅途中、遠くで花火が上がっているのが見えた。

毎年恒例の花火大会。

花火を見ると思い出すことがある。

思い出すのは、私の中にある楽しい記憶ではなく、TVの映像である。

数年前の隅田川かどこかの花火大会の特集番組。

穏やかに進行している中、ゲスト出演していた某夫人が「モナコで見た花火の足元にも及ばない」と発言。余りに唐突で予測もしない発言に、誰もつっこめず、ものの見事に気まずい空気に。

番組が始まったばかりで、その発言。そのシラケ具合の凄まじいさ。それを思い出してしまうのだ。

どういうつもりで言ったのか定かではない。

確かに「セレブな国」の国家イベント的な花火大会と比べてもしょうがないだろう。

どうしても比べたかったら「規模は負けているけども、日本の花火は美しい」くらいの云い回しにしておけよと、未だに花火を見るとそう思う。

そんなことを思い出していると、当ブログを自分のブログで紹介している奇特な人のことを思い出した。

そこでの紹介文。

「日常の他愛もない話を小気味良いテンポで綴る」

多分、褒め言葉。なのだろう。きっと。

確かに「変哲」はない。けれども「他愛もない」に引っかかりを感じるのは考えすぎか。

同じようなことを言おうとしても云い回しで随分変わるもの。

車窓の花火に、そうぼんやり思うのだった。

本日の他愛もないコラムでした。

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薄型テレビ 

帰宅するといきなり茶の間に液晶テレビが。

46型。

どうやら、オヤジが購入してしまったらしい。

まぁ、いきなりでも無いかも知れない。

考えてみると、随分前から買いたがっていたのは知っていた。

それに半ば待ったをかけていたのは、他ならぬ私だったのだ。

理由は幾つかある。

まず、36型のブラウン管TVはそれなりに使えていたし、デジタル放送も完全移行には成っていない。

それに、ここ数年で劇的に値が下がってきた薄型TV。2010年まで待ってば、確実に精度は向上するし更に金額もこなれてくるハズ。

そして何より、茶の間という共有環境に置かれるTV。その資金をこちらも何らか負担しなければマズイのでは、とのケチ臭い思惑もあったりしたからである。

そんな中、堪えきれず買ってしまったオヤジ。喉に刺さっていた小骨が取れたように、やたらスッキリしている。

実は、私の部屋では数年前からハイビジョン映像を100インチで堪能できる環境がある。よって、それほど驚きをもって受け入れている訳ではない。

世界の亀山モデル、液晶のシャープだとか満足気であるが、まんまと企業のイメージ戦略に引っかかっていようとも、金を出したのは本人なので「へぇー良かったね」といってあげている。

しかし、大して広くもない部屋には薄いとはいえ、46型は結構デカイ。

映像が写っている時にはそうでもない。しかし、消すといきなり黒い壁が出現したが如く、やはりモノとしてはデカイ。

デカイと言えば、重量と占有床面積だけは勝っていた36型の先代はどこへ行ったのか。

下取りか。

どうやら妹夫婦が引き取ったらしい。

子供のゲーム用にするのだとか。

只でさえ、子沢山で狭苦しいあの家に、あれを置こうとはツワモノである。

自分より遥かにデカイ、黒い塊に占拠された部屋でゲームに興じる子供達。

TVから離れなさいと云っても、離れるスペースがない状態。

すこしシュールである。

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冷凍機能付き 

便利な世の中である。

「熱いまま急速冷凍」できてしまう冷蔵庫。

残ったご飯を、熱々のまま冷蔵庫に入れて凍らせる。何でも、そうした方が温めなした時に炊きたての感じになってウマイんだとか。

そうかも知れない。

しかし、高温の物を急速冷凍するには、かなりのエネルギーが必要なんじゃ。

ECOを声高に語るのは好きではないが、何と無駄極まりない機能であることか。

省エネ基準をクリアしていようとも、こんな想像力のない機能を搭載した製品を通過させ、エコポイントまで付与してしまう感覚もどうかと思う。お母さんから「熱い物は冷蔵庫にいれちゃイカン」と言われなかったのか。

冷まして入れなさい。

夜、残ったご飯。熱々のそのまんま。20cm四方のラップでキッチリ包む。そのまま放置。寝る前に冷めたのを確認して冷凍庫へ入れる。それだけ。

自然冷却に要する時間は2時間程度。何の造作もない。

温めなおしの際は同じ作業になろう。しかし、こっちだって、そのままレンジ入れてチン。炊きたてと何ら遜色ないご飯が出来上がりなのだ。

そんな「苦もない時間」さえもエネルギーと引き換えにしたいらしい。

いっそのこと、冷蔵庫に炊飯機能を付けたらどうだ。より一層便利だと思うが。

それより冷凍機能付炊飯器がイイか。

温めなおしも楽だしね。

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