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与えられた記号 

夢を与える。

勇気を与える。

聞こえが良い。今時のスポーツ選手や、芸能人なんかが好んで良く使う言葉である。

つい先日もこの言葉を聞いた。それも、ふたつ、いや、よっついっぺんに。

国際サッカー連盟FIFA)の2011年女子世界最優秀選手に選ばれた、日本代表主将のMF澤穂希選手。それに最優秀監督賞を受賞した佐々木則夫監督。

澤選手は「日本人でも、世界の最優秀選手になれる夢を与えられたというのは、意味があると思う」。

佐々木監督は「震災で世界中に助けていただいたことにお礼申し上げたい。日本の皆さんに感動、元気、勇気を与えることができました」。

夢を与える。感動を与える。元気を与える。勇気を与える。

確かに、その世界において並々ならぬ努力と精進した者の中でも、極めて優秀で極めて一握りの人間にしか辿り着けない偉業であることには異論はない。

そして、その高尚な想いにも素晴らしいとは思う。

にしても、である。違和感がある。

夢、感動、元気、勇気、これらを「与える」。今回に至っては「与えること」が「できた」とのことだ。

どうも、おこがましい気がしてならない。

これらは「与えられる」ものだろうか。百歩譲ってそれが出来たとしても、発信者が口にするものだろうか。

これは、そう受け手が感じることではないのか。

この言い回しが発信者の思い上がりでなければ、あまりにもした形骸化した常套句、陳腐な記号でしかかないように思えてならない。

よほど素直に「夢に向かって進むことの素晴らしさを伝えたい」「勇気、元気を出して貰いたい」などの言い回しの方が共感が持てる。

そして、この記号に反応して「勇気をもらった」という記号を口にする者も多い。

何も感じないのだろうか。

選手のひたむきなプレーを観て勇気や元気が湧いてくる。トリガーは発信者の姿勢かも知れないが、それを出したのは自分であるのに。

よほど、双方に口当たりのイイ言葉なんだろうな。

いや記号か。それも誰かに「与えられた」既製品の。

そういえば、以前にも似たような同じ事を書いたな。思い出して、読み返してみて「視点が違うな」と。

少しは成長したのか。いや誰かに何かを与えられ、成長させて貰ったのか。

してないんだろうな多分。
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