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ミリオンダラー・ベイビー 

先日、ミリオンダラー・ベイビーを観た。

クリント・イーストウッド主演・監督の映画である。

今まで、イースウッドの映画は色々見てはいるが、最後に映画館でみたのは「タイトロープ」だったか。

この人が監督あるいは主演する映画は、なんとなく「死臭がする」。それは先のタイトロープ以降に強く感じ、今までイーストウッド映画にあまり触手が動かずにいた。

「死臭がする」のには理由があって、本人がかなり年を取り、風貌までもが乾ききったガイコツみたいになったこともあり、何処と無く死神を連想させるのだ。

また、事実、殆どの映画で人が死ぬ。それをイーストウッドはあくまでもクールにストイックに見ている。怒りに打ち震えたりするものの、そこに体温が感じられないのも要因である。

アカデミー賞2部門に輝いた前作「ミスティックリバー」はデジタルBSで見たのだが、やはり全編をとうして陰鬱な不陰気が漂っている。しかし、ショーン・ペンらの人間臭さが体温となって、今までのイーストウッド映画とは一線を画すものとなっていたと思う。本人が出ていないことで成功している面もあるのではないか。

では、俳優としてのイーストウッドはもう駄目かというとそうではない。今回は、名トレーナーであるフランキーを演じている。

本作でも例の如く死臭を漂わせているが、ヒラリー・スワンク演じる女性ボクサーの生命感あふれる存在により、映画にバランスと深みを与えることに成功している。

スワンク演じるマギーも物凄く若くはない。しかし、ボクサーとしては限界であろう年齢設定であるため、最後の一瞬の煌きにも似た美しさがある。10代20代に設定されていないところがミソ。壮絶はファイトシーンとは対象的にフランキーに認められていく中で見せる笑顔は天使のようだ。

そして、忘れてはならないのがモーガン・フリーマン演じるスクラップ。今回の役回りは、よく比較されているが「ショーシャンクの空に」でのナレーションを彷彿とさせる。神の視点での抑制の聞いた語りは、全てを説明しないイーストウッド監督の演出方法とあいまって格調高い作品へと昇華させている。

死神、天使、神。それに劇中に何回も教会や神父が出てくる。これはあの衝撃的で繊細なラストへ導くための、敬謙なクリスチャンとしてのイーストウッドが仕掛けた伏線ではないだろうか。

3人の名優が正に「はまり役」を演じきっている。逆に見れば役が「この俳優しかいない」俳優を得ていて至極自然でリアルなのだ。

普通ならは劇的に描くようなラスト近く病院のシーンも、淡々と描かれており見終わった後にも深い余韻を残す。

エンドロールが映し出される中、繊細に流れる音楽はイーストウッドによるもの。

監督・俳優・音楽。天は二物を与えないというのはウソである。
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