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言葉とは 

「元気をもらった」という言い方は嫌いだ。

「勇気をもらった」などという人もいるが、これもどこか違和感がある。

表現的に何か足りない。これらは既に流行言葉のように形骸化されてしまった感があり、いかにも軽軽しく何にも響かない。

一番重要な「与えられている」が視点が不足しているのだ。

本来なら、何かを「与えてもらって元気が出た」何かを「与えてもらって勇気を持てた」なのだろうが、どうも一方的に単に貰ってているだけのようで、釈然としない。

言うなれば「与えている側への感謝」が感じ取れないからだろう。

そればかりでない。貰った後に自分がどう変化したか。これはあくまでも自発的なものであるハズなのに、その表現も乏しい。

直接「元気」や「勇気」を与えてくれる人はいない。何かを感じ取り、それを出したり持てたのは自分自身であるのに、自信も持てないでいる。

自己中心的であり自己喪失でもあるこの表現。

何も、言っている全ての人がそうではないと思うが、なんでも省略してしまうのはどうだろうか。

与えられている事に気づかないと他人に「与える」ことなどできやしない。

無論、これは私自身への戒めでもある。
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