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アバター 

久しぶりの更新。

久しぶりというのにお題は「アバター」。

もうアカデミー賞の発表も済み、主要部門は嫁さんにかっさらわれたようですが、この期に及んで、いまさらながら、どうでも良さそうだけども「アバター」です。

実際に見たのは1ケ月以上前。(それでも十分遅いけども)

今更「ストーリーは」なんて語るのもオコガマシイけれども、一応。

舞台は地球から遠く離れた緑の衛星パンドラ。
この星の先住民は青く背の高い部族ナヴィ。パンドラの「鉱物資源」を我が物にしようと目論む人類は、人間とナビィを掛け合わせて作られた「アバター」を遠隔操作してナビィ部族に接近する。
アバターを使って戦略的情報を探り軍部に情報を流す主人公ジェイクだったが、族長の娘らと親しくなり次第にナビィ部族に認められ仲間となり人間としての自分との間で苦悩する。
そんな中、決戦の火蓋が切って落とされるのだった。

取りあえず3Dがスゴイ。とりあえずオープニングで驚かされる。でも、物語が進んでいくうちにその「凄さ」が凄く感じなくなっていく。

ごく自然な感じなのだ。全編CGといってもいい本作であるから、どこまででも驚くような3D描写ができたバズなのにそこまでやっていない。

これは殆どが奇妙な生き物であるナヴィとアバターの話であるから、過度の3D的演出は感情移入の妨げになる恐れがあるためだろう。

これは好感が持てる。単なる「見せ物」若しくは「見物」的ものにしていない。主人公のジェイクのように観客はパンドラの世界を「体験する」のに成功している。

確かに良く出来ている。が、しかし、色々な場面で、どこかで見たようなものばかりのような気もする。

ナビィは「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムで既に見た感があるし、パンドラの動植物は同監督の駄作「アビス」だし、軍隊の描写は「エイリアン2」だったり「マトリックス」に見た気もする。

物語はどう見たって「もののけ姫」。「ここで巨大なイノシシが大挙して押し寄せてくるんだよなぁ」と思っていたらやっぱり出てきた時には思わず笑ってしまった。

「ラピュタ」や「ナウシカ」の匂いも微かにする。

エンドクレジットに宮崎駿の名前を探したけども、流石になかったな。

色々なものにインスパイアされるのもいいけども、丸呑みしていては「昇華」できませんよ。

拘りまくった映像に圧倒はされたものの、見終わった後に既視感ばかりでスッキリしない感じが残ったのも事実。

映像化するに当たって技術的に追いつかず製作に12年もかかったらしいが、その間に折角のイマジネージョンも色褪せてしまってはいないか。

キャメロン監督の「作家性」の中で一番優れているのは「B級っぽさ」なのに、ある意味非キャメロン的な「タイタニック」で大成功して以来どうも気取っているのか、押し付けがましい気がしてならない。

宮崎駿も「もののけ姫」で押し付けがましくなったのに少し似ている。

日本の巨匠が「ポニョ」に回帰したように、キャメロン監督も「スターシップ・トゥーパーズ」のリメークあたりで原点回帰してもらいたい。

A級気取ったキャメロン印全開の大作はもう食傷ぎみだったりするんで。

でも、まぁ、歴史的な作品と称されるだけのことはやっているんだろうな。流石に。

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BALLAD/名もなき恋のうた 

あのアニメの実写版である。

というか「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」完全なまでにリメイクである。

設定も展開もセリフまでもが忠実に再現されている。とはいえ、やはり「しんのすけ」は実写化できないようで「真一」という小学生が主人公に据えられているのは仕方ないこと。

確かに原作のアニメは傑作(古いコラム196話参照)だった。戦国時代の生活描写や戦シーンの描写にはアニメを超えたディテールを湛えていたし、それに、乱世の中で生き、翻弄される人々の悲哀までもがしみじみと溢れていた。その年の文化庁メディア芸術祭アニメ部門大賞を受賞したのも頷けるものだった。

アニメの監督は「原恵一」。この前作が更に凄い。「クレヨンしんちゃん モーレツオトナ帝国の逆襲」(古いコラム177話参照)。これには完全にやられた。文句なし。その年のマイベストとなっていたほどである。

さて、今回のリメイク版はどうか。

監督は「山崎貴」。「ALWAYS三丁目の夕日」はそれ程良いと思わなかったが、日本アカデミー賞を受賞するなど人気は高い。その監督がアニメを見て衝撃を受けてリメイクに踏み切ったというから力が入ってそうである。

原作がイイので、ほぼそのままなぞった本作が悪いわけがない。ある程度泣けたし、GCも「正しく」使われていて好感は持てた。

しかし、何だか物足りない。

アニメは95分。本作は132分。なのに物足りない。なぜか。よく分からない。

又兵衛と廉の悲恋物語もそれなりに再現できていし、合戦シーンも迫力に乏しいとはいえ量的には過不足ないと思われるのに。

それでは何が余分で、何が不足なのか。

まず不足点。アニメでうまく描けていた部分部分が痩せていると思う。

真一の両親が「タイムスリップ」を信じるシーンはアッサリし過ぎ。ネットでポン。あんなんで信じるのか。真一と又兵衛が絆を深めていくエピソードも省略されている部分もあるし、かなり弱い。美佐子が廉姫に「なれそめ」を話すエピソードも薄く、「あなた方に不幸は似合わない」というセリフも上滑りしている。

気に入っていた「戦を応援しに行く真之助を必死で止めに行く父親」のシーンは随分と印象が違っていたし、何よりアニメでは肝であった「青空の雲」の描写も無くなっていたのは残念。

これらの人間ドラマを深める要素であった部分が痩せているために、物足りないと感じてしまったのかも知れない。ついでに草薙君が痩せすぎであることも追加しておこう。

それでは、何が余分なのだろう。

全体的にテンポが緩慢になっているということなのか。

真一の描き方に問題というか、アニメと違う視点があったからではないかと思う。

要はアニメの「しんのすけ」は又兵衛と廉との関係性の中で存在していたが、実写では少年侍との関係や単独でもその存在を強めているのだ。

実は、その存在自体こそがテンポを悪くしている要因なのではと思う。

リメイクとして全くダメという気は更々無い。

しかし、原作の出来があまりにも良すぎたので、まぁ仕方ないか。

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G.I.ジョー 

あまりの暇さ加減にウンザリして、映画でも見ようってことに。

モーニングショーなる割引で幾分安く見られるので、この映画にした。

全く期待はしていない。時間潰しのようなものだから。

物語は近未来が舞台らしい。最強のウィルス兵器「ナノマイト」の争奪戦が主な内容だ。
なんでもこの武器、ナノテクノロジーを駆使したもので、金属という金属を食い尽くしてしまう超危険な代物。こいつを移送中の主人公のデューク率いるNATO軍が超ハイテク兵器で武装した謎の悪者=秘密テロ組織「コブラ」に襲われるが、これまたハイテク武器の秘密部隊が参上。間一髪、危機を免れる主人公。それは史上最強の国際機密部隊「G.I.ジョー」だった。
この武器を手に世界を支配しようと企む「コブラ」と「G.I.ジョー」の壮絶な戦いが幕を開ける。果たして世界の運命はいかに。

多分こんな感じ。だったと思う。実際、ストーリーなんて無いようなもの。

おバカ丸出しの能天気映画。とにかく、武器や仕掛けが超ハイテクすぎて、笑ってしまう。そもそも秘密基地だもの。敵も見方も。砂漠の地下だし、南極の氷の下だもの。

どこがG.I.ジョーなんだ。完全なSF映画。それも今時珍しい大バカときている。

パワードスーツはロボコップみたいだし、スネークアイズなる人物はニンジャタートルみたいだし、敵の衣装はX-メンみたい。サングラスからビームでも発射されるんじゃないかと思ってしまった。

超ハイテクなのに思いっきり肉弾戦。どっかで見たような水中戦。どっかで見たようなマスクを着けた科学者。ニンジャ同士の戦いで、イ・ビョンホン演じるストームシャドーが二本の刀を繋いでナギナタみたいに使うシーン。そうそう「スターウォーズ」じゃん。

一番爆笑したのが、マッハ5で飛ぶ戦闘機。まんま「ファイヤーフォックス」。驚いた事に、このファイヤーフォックスはロシア語じゃなくてもOK。どこの言葉か忘れたが、その言葉で命じればミサイル発射可能だったり。イーストウッドもビックリなのだ。

超危険なウィルス兵器の外観も、「ザ・ロック」やら「トリプルエックス」などでお馴染みの緑だか青だかの透明容器。ちゃんと危険が見える構造だから安心なのだ。残り湯が見える湯沸しポットみたいに。

と、言うわけで、もう何でもありの世界。お腹いっぱい。

続編がありますよってな終わり方。

おかわりは要りません。

まぁ、シエナ・ミラーのピッチリ衣装はもう一度見ていたい気はするけども。

時間は潰せたが、ウンザリ感は倍増してしまいました。

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サマーウォーズ 

新聞に週一で掲載される評論で、満点が付いていたので気になって観てきた。

普段、このコーナーで満点が出ることは少ない上、論調も絶賛状態だった。高まる期待。

予備知識はアニメーションという以外ゼロ。果たして。

物語は、OZ(オズ)という巨大なヴァーチャル空間が、現実の世界と直接深い繋がりをもち、その主要な機能の大半を司っている世の中。
主人公は、先輩の夏希にアルバイトに誘われた数学の得意な高校生の健二。夏季の祖母の誕生祝いを控え、大勢の親戚一同が介することになるのだが、その前で「恋人のフリ」をしてくれと頼まれる。それがアルバイトの内容だった。
そんな中、OZに出現した脅威によって、現実社会に障害が多発する。暴走し巨大化したそれは人工衛星を墜落させようと企てる。その標的は原子力発電所だった。
果たして阻止できるのか。

オープニング。OZの説明が延々と続く。これがモロにアニメチック。まずノレない。

やっと登場した夏季と健二は祖母の前で「恋人である」とウソをつくが、その前段で健二が夏季に肩入れする動機が描かれていないし、その薄っぺらな健二をあっさり(少なくともそう見える)認めてしまう祖母にも興醒め。

兎角、柱であるこの三人が薄っぺらいため、全然話しに乗れないのだ。

登場する大勢の親戚達の描写はそれなりにリアルではあるが、際立ったキャラクターでもない。それに祖母もいきなり死んでしまうものだから、結局は誰にも感情移入ができない状態。

絶えず一緒に生活している訳でもない彼ら。全員が一同に介して仲良いことは伝わるかもしれないが、それだけでそこに人間同士の絆を表現したと云われてもピンとこない。田舎の大家族って素晴らしい。なんて全くの幻想。

同じアニメでいけば、「となりのトトロ」に出てくる「ばあちゃん」や地元の人々の方が圧倒的に人としての絆を感じさせると思う。

その絆とやらとヴァーチャルコミュニケーションを対比させているくらいは分かるが、何を浮き立たせたいのか中途半端。

それは、血の通わないアバター(利用者のネット上の分身)同士の「かっこいい戦い」を嬉々として延々描く監督なり脚本家が、如何にその世界が好きかが顕れているからであり、どうしても「この世界」より「その世界」の方が好きでたまらない。けどね人間の絆も大事なんだよ。ってな具合に感じる。

そうではなく、最早現実的に当たり前に成りつつある「ヴァーチャルな世界」においての絆の可能性を示唆しているんだとしても、その表現方法に問題がある。

それは、登場人物の誰一人として、OZが稼動する世界に何の違和感も疑念も抱いていない点にある。また、唯一それに人の知恵で対向した祖母を殺してしまっている点にある。更には、その暴走を阻止しようとしている人物が他に描かれていない点にある。

だから、この映画では誰も成長しないし、その世界は変わらない。

それは「映画」としての魅力が希薄であることを差す。

原恵一の作品からは「映画好き」が感じられるが、細田監督のこの作品からは単に「アニメ好き」
という臭いがしてしまうのは気のせいか。

OZの説明が冒頭でなく、物語の中でそれとなく成されていれば。
(あんなアニメのお決まり的な描き方でなく、現実世界に浸透している様を描くやりかたは他にもあるハズ)

夏季と健二の心理描写がもっと深いもので、現実世界に登場する全ての「人工物」と料理に関するディテールがもっと細かなものであれば。祖母を殺さず戦の一旦を担わせ、その壮絶な戦が始まるまでの時間が30分短縮できていれば。

もっと、楽しめたのかも知れない。

前作「時をかける少女」は良く出来ていただけに、残念。

アバター同士を戦わせ、それを躍起になってモニターで見ている絵面。

まるでテレビアニメの「デジモン」みたいだ。

と思っていたら、この監督「劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」の監督らしい。

なるほどね。


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